第1章 犬も歩けば棒に当たる
濡れたように艶やかな黒髪の女性は、1つのオフィスビルの前に佇んでいた。そして、首を傾げていた。
『営業してる時間、ですよね?』
彼女が手を置いても、一向に開く気配のないオフィスビルの自動ドア。そして、フロントの受付嬢も彼女の事に気がついていない。
『あ、もしかして』
何かを思い出したかのように、女性が手を叩くと、
ウィィ……ン
自動ドアが開いた。
女性はフロントの受付嬢に、事前に知らせていた旨などを話すと、用のある人物を呼んでくれるとの事で、ロビーで待つように言われた。
女性はソファに深く腰掛けてぼんやりしていると、
「やあ!久しぶりだね!我がいとこ殿!」
張りのある、聞き覚えのある声がして立ち上がり、声のした方へ振り返る。
『ご無沙汰してます』
「いいよ、そんな丁寧に挨拶してくれなくても。じゃ、お互い時間ないからサクッと案内するね」
『はい、お願いします』
背広姿の男性は、爽やかな笑顔で女性と奥へと入って行く。
非常階段を降りて、アルミ製の扉を開けるとそこは、
「今日からここが君のヒーロー事務所さ!」
大小さまざまなダンボールが適当に置かれた部屋だった。
女性は部屋を見渡す。
天井、床、壁は全てコンクリートで、地下だから窓もない。
唯一の出入り口は、さっき入ってきた非常階段につながる扉と、このオフィスビルの路地裏に続くアルミ製の扉だけである。
女性は男性を振り向くと、満足気に頷いた。
『丁度良い広さです。ありがとうございます』
その様子を見て、男性も満足気に頷いた。
「ここまで来るのはあっという間にだったね〜」
『そうでもないと思いますけど……』
「まさか!」
男性は驚いたように声を張り上げた。
「去年辺りにプロヒーローのサイドキック入りを果たした君がもう事務所を構えているんだよ!?早いよ!」
『いや、私がいると赤字続きで食べていけないらしいから「独立しろ」と言われ続けた結果がコレですよ?』
「それでもすごい事なんだよ!?自覚して!」
『…………』
「自覚して!」と頼まれたところで、彼女にはそんな気は毛頭ない。