第9章 恋する風邪っぴき
「げほっ、こほっ、こほっ、」
ひとりぼっちのお部屋に、私の小さな咳だけが響く。ずずっ、と垂れる鼻水を啜りながら、痛む頭を誤魔化したくて、掛け布団を深く被ってベッドの奥に潜り込んだ。
あれは小学四年生か五年生くらいの頃だったと思う。
私は風邪を引いて学校を休んだ。珍しくかなりの高熱が出ていて、お父さんが大慌てで仕事を午前休みにしてでも病院へ駆け込んでくれたことを覚えている。午後から仕事へ戻る時も、酷く心配してくれて「お医者さまにお薬を貰ったから大丈夫、すぐ治るよ」って、私の方が逆にお父さんを励まして仕事に送り出した程だった。
食欲が出なくて、バナナを半分も食べられないお昼を過ごした後、私はお布団の中でひとりぼっちになった。
母は──もしかしたら、その頃から浮気相手のところへ通っていたのか、お父さんが仕事へ行った後「用事があるから」とか何とか言って、高熱の娘を置き去りにして何処かへ出掛けて行ってしまった。あまり、その辺りは深く思い出したくない。
とにかく、風邪を引いた私は午後からひとりぼっちになった。寂しかった。学校へ行きたくて仕方なかった。
──春人くんに、会いたかった。
今日は給食の後すぐお家に帰れる日だったのに。彼のお家で遊ぶ約束をしていたのに。今度こそ対戦で勝ってやるんだー、って楽しみにしてたのに。ああ、約束、破っちゃったな。
熱のせいで頭がぼんやりして、彼のことを考えていると何故だか悲しくなってきて、布団の中でぐすぐすと泣いた。身体が弱ると心まで弱ってしまうのかもしれない。はやく、はやく寝てしまおう。風邪なんてすぐに治してしまって、明日こそ彼に会うんだ。
そう思ってその日も、私は掛け布団を深く被って頭の先まで潜り込んだ。ぎゅっと強く目を瞑った途端、ピンポーン、お家のインターホンが鳴った。
誰だろう。私はよろよろと起き上がる。もう一度、ピンポーンと鳴って、控えめに扉を叩く音が三回聞こえてきた。私は必死で、机を伝い、壁を伝い、ふらふら玄関に向かう。今はお父さんも、母もいないから、私が、出なきゃ──。
やっとの思いで、玄関のドアノブに手を掛けた。ガチャリと鍵を開ける。覗き窓を確認する余裕は無かった。