第1章 可能性の文字
誰かに呼ばれた気がして酒場に行った。
深夜十一時、幽霊のように浮かぶ瓦斯灯から身を隠すような気持ちで通り抜け、酒場のドアを潜った。店内をたゆたう紫煙に胸まで浸かりながら階段を降りると、既に太宰となまえが、カウンターの席に並んで座って、酒杯を指で玩んでいた。こいつらは大抵この店に居る。
「やァ、織田作」
太宰が嬉しそうに云った。
手を掲げて返事をし、私は太宰の隣に座った。何も訊ねずに、バーテンダーがいつもの蒸留酒のグラスを目の前に置いた。
『またそれ飲むの?織田作、趣味悪い』
なまえがカウンターのテーブルに顔を突っ伏しながら云った。
「そうか?美味いぞ」
私がそう云えば、なまえは眉をひそめて首を横に振った。
『何回飲んでも好きになれない』
「そうか。大人の味だからな」
『私だって、もう十八の大人だよ』
「二十歳未満は、大人とは云わない」
私の言葉にむすっと頬をふくらませるなまえを見つめながら太宰は、くすくすと笑っている。
「ところで、お前達は何をしていたんだ?」
私は訊ねた。
「聞いてよ!今日ね、銃撃戦があったのだよ。機銃つき幌車で武装した元気な集団と!倉庫内で撃ち合いになった」
「それは随分な装備だな」
「私達の飯の種を横からかっさらおうなんて、嬉しくさせてくれる連中だよ。うまくいけば壮絶なる戦死だ。わくわくしながら待ち伏せたのに、がっかりしたから五秒で片付けた。なまえの異能は容赦がないからね。そしたら、泣きながら逃げて行ったよ。おかげさまでまた死にそびれた。詰まらないなあ」
太宰が、至極詰まらなそうに云った。
それにしても、苛烈なポートマフィアの報復を恐れないとは、相手は確かに肝の太い益荒男のようだ。そして太宰の落胆とは裏腹に、機銃と榴弾砲を揃えてきた連中なら、あながち認識の出来ない間抜けでもない。
相手がこの、太宰となまえでなければ、の話だが。
ポートマフィアにはこういう云い習わしがある。”太宰となまえの敵の不幸は、敵がその二人であること”。マフィアになるために生まれてきたような人間なのだ。
マフィア幹部、準幹部などという肩書きを、少年少女とも見紛うような若者が名乗っているとなれば、事情を知らぬ人間には笑い話だろう。