第65章 新8月 Ⅵ
蹴られた黒子の怪我に大事は無く、今夜はもう休め!との影虎の指示でそれぞれが部屋に戻った。
しかし、桃井とアリスはまだ休まずに明日の準備をしていた。
『さつきちゃん、檸檬は切らないと!』
「え?」
綺麗に洗っただけの檸檬をそのまま大きなタッパーに入れようとした桃井に、アリスは慌てて声をかけた。
『そのままでも漬かるかも、だけど。時間がかかっちゃうし。』
丸ごとでは、食べにくいでしょ、とアリスは苦笑い。
バレンタインに一緒にチョコ作りをした事もあり、桃井に料理スキルが無い事は知っていた。
「そっか!」
『私が切るから並べて入れて。』
「うん!」
柑橘系の爽やかな匂い。ハチミツの甘い香り。
もう数時間後に迫った試合のことを考えると、楽しく調理とはいかない。
「ねぇ、アリスちゃん。」
『んー?』
「明日、大丈夫よね?」
みんなは勝てるよね?と言う気持ちと、あなたを傷付けた人達と会う事になるけど大丈夫?という気持ち。
自分だったら、きっと正気のままでは明日に挑めない。
「無理はしてほしく無いの。」
『ありがとう。でも、大丈夫。私、自分でも驚いてるの。』
もっと怖いと思っていた。
実際、最初にTVで彼等の姿を見た時は怒りと悲しみと恐怖、色々なマイナスの感情で震えた。
しかし、彼等と何日も一緒に練習をしたり、たわいもない話をしたり、今の様に桃井と料理をしたり。
今は不思議とそんな気持ちは湧いてこない。
もう二度とやる事は無いと思っていたバスケも、彼等のおかげで今はまた、楽しめる事になっている。
自分がどんなに避けて逃げたとしても、過去は消えない事もわかった。
だからこそ、ちゃんとそれに向き合って勝たなければいけない。
『怖くない、って言ったら嘘になっちゃうけど。でもね、大丈夫!』
「…アリスちゃん。」
『みんなが居てくれるおかげだね!』
だから絶対に美味しいハチミツ檸檬作って、明日は全力でサポートしなきゃ!とアリスは笑った。
「羨ましいな、アリスちゃん。」
『へ?』
「アリスちゃんみたいに私も強くならなきゃ、ね!」
パチンと最後のタッパーの蓋を閉めた桃井はにっこりと笑った。
仕込み終えたタッパーを冷蔵庫に入れ、自分達も休もうと部屋に向かった。