第88章 初仕事
小学校6年の冬、北国。
なんてことはない普通の平日、下校中。
彼と出会った。
「…通りがかるのが遅い…」
理不尽な苦情を凍える唇で訴えてきた彼は、何やら私を待ち伏せしていたらしい。
彼は北国で暮らすにしては薄すぎる黒コートと、黒い無地の上下に身を包み、夏用の黒スニーカーを履いていた。
あからさまに怪しい出で立ちだが、ぼんやり俯いて歩いていた私は彼の前を通り過ぎようとしたことすら気付かず、声をかけられてようやく。
彼の存在に気がついた。
「…寒い…なめてた…話が違う…」
立ち止まり、怪訝そうに彼を見上げる私の目の前で、彼は頭と肩に積もらせた雪を犬のように身震いし、振り落とした。
そしてぶつくさと文句を吐き続け、最後に一言呟いた。
「雪も…全然甘くないじゃないか…」
雪が、甘くない。
甘くない、と言うからには口に入れたんだろうと推察し、私は大して考えもせずに思ったことを口に出した。
『……食べたの?』
彼は少し口を半開きにして私を見下ろし続けた後、ぼそりとまた一言呟いた。
「…食べた」
『…なんで?』
「…甘そうだから」
『………………なんで?』
「…うるさいガキ…聞いたところでおまえ、これから死ぬんだからくだらないこと聞くな」
ようやく帰れる。
彼は震えながらそう呟き、私の方へと素早く手を伸ばした。
私は彼と自分の間に座標を定め、彼の方へ全てのベクトルを「反射」。
バンッ!という窓ガラスを叩いたような音が周囲に響き、彼は弾かれた自分の腕と、私を交互に見た。
そして、躍起になって手を何度も何度も突き出してきた。
バンッ、バンバンバンバンバン
全ての衝撃が跳ね返ってくる、透明な壁を彼が叩き続けること1分。
(…痛くないんだろうか)
そろそろ、手をぶつけすぎて赤くなってくるんじゃないのかと、彼を心配していた矢先。
ピタッと彼は動きを止めて、自分の手のひらをじっと眺め始めた。
『……。』
「……。」
無言で手のひらを擦ったり、ブンブンと手首をいらだたしげに振りまくっている彼を見るに。
やっぱり、痛くなってきたらしい。
『……痛い?』
「………」
『………』
「………おまえが痛くしたんだろ」
『……ごめんよ』
「…ガキのくせになんだその個性…!帰らせろ、寒いんだよ北国!!」