第58章 臆病と疑念と切なさ
この家から出たら、自分と彼女は教師と生徒。
学校では、彼女を一人の生徒として評価する。
不真面目な態度を取り続けるなら、すぐさま除籍。
在るべき姿で在り続けようとしたいつかの自分を思い出し、深く深くため息をついた。
(……遅い…)
日曜の、午後3時。
彼女が出かけてからまだ4時間程度しか経っていないことは理解していても、何かにつけて時計ばかり気になる。
仕事の手を止め、リビングへ戻ろうと廊下へ出た時。
丁度玄関の扉が開いて、彼女が帰宅した。
一瞬だけ視線が交わって。
俺はおかえり、という言葉を発して。
彼女はただいま、という言葉を発した。
今日はどうだった?と聞けば。
楽しかったよ、と視線を合わせず、彼女が薄い笑みを浮かべて感想を述べる。
立っている俺の隣を彼女が通り過ぎる瞬間。
彼女の名前を呼んだ。
「…深晴」
せっかくの、休日。
また自室に篭るのか?
けど、そんなこと言う資格なんてない。
話せる時まで待っててやる、話す方法を考えると言っておきながら。
おまえを急かした。
おまえに謀をして、この家の中に「教師」としての自分を持ち込んだから。
「…勉強、見てやろうか」
『ははは、大丈夫だよ』
今までどうやって、接してきただろう。
彼女に溺れたフリをして彼女を謀った俺は謝り、隠し事をし続けたことを彼女は謝った。
謝り合って、許容し合っても。
それまでの関係が、目に見えないながらに崩れ去ってしまったのが理解できた。
俺がわからなくなってしまったなら。
おまえはもっと、混乱したままだろう。
家の中に居ても外に居ても。
もう教師としての言葉しか、口に出せない。
想い人としてかけてやれる言葉なんて、「おかえり」と、「今日はどうだった」なんて当たり障りないものしかない。