第54章 それだけは譲れない
職業体験から帰ってくると。
相澤は、ほんの一瞬でも仕事の合間ができると書斎から出てきて、向を抱きしめるようになった。
向がソファに座っていると肩を抱いてくるし、ローテーブルで作業をしていると、その後ろに座って覆いかぶさってくる。
シャワーの後ドライヤーをかけ始めると、どこからか音を聞きつけてきてドライヤーを奪取して髪を乾かしてくれるし、眠る時は当たり前のように隣に横たわった。
(…これ、いいのか…?)
なんて不安がよぎるほどの愛情表現。
玄関先で我を失った罪の意識なのだろうか。
それとも、確実に勘付いているらしい彼の危機意識からだろうか。
どちらにせよ、ここまでわかりやすい彼の態度を受け続けられるのは嬉しい。
『あ、の…日曜にね』
「…ああ」
『…エンデヴァーさんが、その…迷惑かけて申し訳ないから、一度家に呼んでくれるって言ってて』
「本当に申し訳ないと思うなら二度と関わらないでくれとは言わなかったのか?」
『そこまでメンタル鋼じゃないよ』
「家に呼んでどうする?何の解決にもなっちゃいない。怪我させたかもしれない代償にケーキでも食わすのか?この年頃の子どもを分かってない」
『…あー…そうなんだけど。断れなくて、もうご家族の方にも連絡されちゃってて…』
「断って迷惑かけてお互い様にしてもらえ」
『あぁ、そんなやり方もあるのか』
容認する気がなさそうなその相澤の言い草。
向は彼から、土曜の昼食の食材を切る手元に視線を移した。
「それとも、行きたいのか?」
キッチンに並んで立った相澤が視線を合わせず、グラスに水を入れるのを、じっと彼女が見上げてきた。
『友達の家、呼ばれた事ない』
「…またそうやって、引き留めづらい理由を持ち出すなよ」
『テレビゲーム一緒にしてみたい。卒業アルバム見たりベッドの下漁ったりしたい』
「テレビゲームならマイクが置いてったまま引き取りに来ないのがあるし、ベッドの下を漁るのは良い事ないからやめとけ」
まず、轟の部屋に入るな!と目を見開いてくる相澤に、向が捨てられた子犬のような目で視線を返す。
『友達の家に呼ばれてみたい』
「……っ」
いつも何もねだらない彼女の望み。
相澤は心底嫌そうな顔をして、「…勝手にしろよ…」と許可を出した。