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風向きが変わったら【ヒロアカ】

第45章 らしい名前をつけましょう




溢れるから、と。
向は相澤の言葉を肯定も否定もせず、彼の手に触れた。
水が溢れかけたグラスの中で、氷が軋み、カラン、と乾いた音を立てる。


「………悪い」
『…そういうのは、不愉快だ、じゃなくて妬けるって言うんじゃない?』
「………。」


クスクスと向が楽しげに笑い、ペットボトルに触れたままだった相澤の手から、自分の手をゆっくりと離した。
冷たい温度を移してしまった相澤の手が彼女の手を引き止め、しっかりと握られる。


『………。』


ひんやり、冷たい相澤の右手。
向はそんな彼の手の温度を、自分の手のひらに感じ、ふと。
一人のクラスメートのことを思い出した。


(…………なんで?)


「…深晴」


名前を呼ばれ、ハッとした。
冷たいままの彼の手が頬に触れて、ざわざわと心の内がかき乱される。
真剣な眼差しを、その身に受けて。
向は、一瞬ざわついた心のさざ波が引いていく代わりに、穏やかな気持ちに満たされた。


「妬ける」


そう囁いた彼は押し黙って、ただ静かに。
熱に浮かされたその鋭い瞳で、向だけを映し続けた。
視線を逸らした彼女に、「逸らすな」と。
後ずさって逃げようとする彼女に、「逃げるな」と。
命令のようで違う、独りよがりな願望を口にして。


「……唇に触れたい。いいか」
『…良くない』
「……触れたい」
『指で触るならご自由に』
「おまえはガキか」
『消太にぃはガキだね』
「なら良かったのにな」
『三十路でもまだギリギリ間に合う』
「いや、もう無理だ」


俺はもう十分、大人だよ。
そう言って、相澤は頬に触れていた手の指先で、向の唇に触れた。
彼女の柔らかい唇の感触に胸の高まりを感じつつ、キスはどうやってするものだっただろうか、なんて懐かしい記憶に思考を奪われた。


「…………。」


食べないの?
と彼女が視線をテーブルに向けながら言うから。
お前をか?
なんてからかうと。
彼女は躊躇いなく、相澤にアッパーカットをしてきた。
その強烈な一撃に悶絶しているうちに、彼女は相澤と距離を取り、振り向いた。


『ご飯、食べないの?』


(……飯のことばっかりだな)


そう非難めいた感情が湧き上がるのを必死に堪え、相澤は深く、ため息をついた。

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