第39章 応答
「いってくる」
『い……ってらっしゃい…』
扉に手をかけた時。
相澤は一瞬心もとなくなって、彼女の顔を見た。
向は顔を真っ赤にして、俯いていた。
(……あぁ、言い逃げみたいだな)
そう思って立ち止まり。
彼女に問いかけた。
「……俺が今提示した関係は嫌か?」
『えっ?』
「…また、似てるようで似てない関係に戻る。今度こそ、誰にも話せない。許されないなら、バレなきゃいい。誰も俺たちを知らない。この関係には名前がない。もし呼ぶとするなら……」
秘密の、関係。
二人の声が重なった。
相澤はじっと向の返事を待ち続ける。
向は視線を泳がせた後、恥ずかしそうに言葉を返した。
『…嫌じゃない』
「…よかった。じゃあ急に出ていったりいなくなったりするなよ」
『……ふふ、それが心配だったの?私はどこにも行けないよ』
「…いってくる」
『いってらっしゃい』
ーーー私はどこにも行けないよ
笑顔で見送ってくれた彼女を、頭に思い浮かべながら。
相澤はぼんやりと、空を見上げて歩いた。
「……行けない、か」
微かな期待を裏切った、彼女の言葉。
相澤が望んでいた言葉とは、少しだけ言葉も意味も違った。
どこにも行けない
望んだのは
どこにも行かない、という彼女の意志
(…とっとと仕事終わらせて帰ろう)
彼女が家にいることを願って。
ほんの少し、相澤の胸の内は臆病を忘れ、疑念も僅か残したまま。
切なさはまた、色を変えただけでそこに鎮座したままだけれど。
(……早く、帰りたい)
彼女の想いを知って。
確かな変化は、二人の関係にも訪れた。
手放したくないから。
どれだけ時が過ぎようと、相手が子どもだろうが大人だろうが、他の男に自分の立ち位置を譲るつもりはない。
自分は彼女と、永い永い時をこのまま共に暮らし続けたい。
目を背けることはもうしない。
いつか彼女との関係に
名前をつけられるその日が来るまで
彼女の隣で、待ち続けよう