第37章 束の間の夢
昨日、相澤のからかうような言葉を受けて。
まだ食事前だと言うのに『歯を磨いてくる!』なんて洗面台へ向かった彼女が、どんな反応をしながらかえってくるのかと、相澤は少し興味を持って待っていた。
けれど、彼女はそれまで見せていた歳相応の表情を完全に消し去って、リビングに再び現れた。
相澤と暮らし始めた頃に顔に貼り付けていた、仮面のような笑みを浮かべて。
まるで何事もなかったかのような彼女の様子に、相澤はどう接することを求められているのか、即座に理解した。
当たり障りない会話を持ちかけてくる彼女に、少し戸惑いながら返事を返した。
料理が出来上がった時、彼女は笑って言った。
ーーーごめん、また目眩がしてきたからもう横になるね
大丈夫か、と声をかける前に彼女は相澤に背を向け、自室へと入って行った。
彼女の行動の意味に気づいたそのあとは。
気もそぞろに、一人、用意された食事を口にした。
このままの距離でいたいか。
それとも、もっと近づきたいか。
自分を誤魔化して、欺いて、絶対に聞くまいと心に決めていたのに。
一度抱きしめるのを許されたくらいで、問いかけてしまった。
彼女にそんなことを聞いて。
「このまま」でいられるはずがない。
近づくか、なんて。
聞いたところで、彼女を困らせただけだろう。
彼女の態度を受けて思い知った。
深晴は、そんなことを望んではいない。
今まで彼女が「それらしい」受け答えを返していたのも、そう望む相澤に気づいて、合わせた上での行動でしかなかったんだろう。
自分だったらそうする。
ここ以外に彼女の生きていける場所なんて、どこにもないのだから。
見捨てられれば自分は生きていけないと子どもが悟ったら、どれだけ媚びたってその相手に気に入られようとするに決まっている。
自己嫌悪に苛まれながら1日を怠惰に過ごした。
陽が傾き、カーテンも閉めず、明かりもつけずにいた部屋が薄暗い闇に包まれた頃。
ピーンポーン、という機械的なインターホンの音に、眠りへと連れ去られかけていた相澤の意識が呼び戻された。
一瞬で飛び起きて、すぐに、合鍵を持っている彼女ではないと落胆し、ソファに横たわる。
「……チッ」
インターホンを連打してくる鬱陶しい来客に舌打ちをして、相澤は荒々しく玄関の扉を開けた。