第3章 何事もほどほどに
あっち向いてホイで負けない。
自分の個性について、静かなクラスによく通る声で、そんなわかりづらい紹介をした向は、自然と1- Aのクラスメート達からの視線を集めていた。
「位置について。よーい」
知ってか知らずか、そんなクラスの注目の的になっている向は、透明人間の個性持ちである葉隠と一緒にレーンに並んでいるせいもあり、ただスタート位置に構えているだけで存在感がある。
(浮世離れしていると形容するに相応しい人物だ…そんな人物に、初めて出会ったな)
クラス最速のスピードで堂々の50m走暫定一位を勝ち取った飯田は、第2種目の握力テストに備え、自分の指を反対側に引っ張って伸ばしながら、向を観察していた。
「向の身体のライン、エロいよね……」
「えっ?」
いつの間に、隣にいたんだ。
極端に身長の小さい男子生徒が、一切の瞬きをすることなく向を見つめて、呟くように話しかけてきた。
「君は、出会ったばかりの女子に向かってそんな視線を向けているのか!?向くんに失礼だろう!」
「うるせー!入学初日に除籍がかかったテストやらされてんだぞ、ちょっとぐらい夢見たっていいだろーが!!」
「なっ…破廉恥なことを考えるのと、夢を見るのとは全く別の話じゃないか!」
「おいおい馬鹿かよ飯田おめーよぉ…甘ちゃん過ぎんだよ童貞がよぉ」
「向くんだけではなく、ボ…俺まで侮辱するとは…!峰田くんと言ったか…」
君、とても嫌な奴だな!という飯田の言葉を搔き消すように、パァン!という発砲音が響いた。
(しまった!すっかり気を取られてしまった!)
飯田が慌てて、レーンの方向に向かって身体を真っ直ぐに向ける。
2人ずつ走るレーンの奥側を、宙に浮いたジャージが独りでに走っているように見え、一瞬ギョッとしてしまうが、
すぐにあれは葉隠だと認識した。
(……なっ!?)
その葉隠のはるか前方、手前のレーンを向がものすごいスピードで駆け抜けていく。
正しくは、飛び抜けていく。
スタートダッシュの瞬間を見逃した飯田には、彼女の個性が空を飛ぶことのできる個性なのか、それとも地面を蹴り、飛ぶように跳躍しただけなのか、全く判断がつかない。