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ただのパンダのお引っ越し

第9章 動物園でご対面



「ねえ、どうだった?」

動物園を離れ、家に帰り着き、夕飯を食べながら私は伊豆くんに問いかけた。
伊豆くんはお手製の肉じゃがに箸を伸ばしたまま、深く考えるようにひと呼吸おいて、
「複雑だった」
と言った。

「人間は、自分が見られるのは嫌なのに、別の動物を見るのはいいんだな」

まったく不思議だ、という表情だった。

「動物園、楽しくなかった…?」
「いや、うーん。そうじゃないんだ、本当に。オレも最初は動物園に入りたくてこっちに来たくらいだからな。すごくいい所だとは思う」
伊豆くんの箸は肉じゃがの上を漂ったまま、進むことがなかった。

「野生で生きるのって、大変なんだよ。そりゃあ大変なんだ。餌がなかったり、他の動物に襲われたり、暑かったり寒かったり。前に話したが、オレはオレの親のことを知らない。多分オレを捨てたか死んだかしたんだろう。そういう世界なんだよ。それと比べたら、動物園なんて天国だなとオレは思うんだ。ただ…」
「ただ?」
「そんなことを考えながら動物園を眺めるのはオレだけなんだろうかと、多分オレだけなんだろうと、そう思うと少し、寂しくなったな。だから、複雑だった」

言いながら伊豆くんは、パンダ舎の前で見せたあの表情を、ほんのりと浮かべた。

ああそうか。
伊豆くんは、疎外感ってやつを感じたんだ。
パンダと人間に囲まれることで、パンダでも人間でもない独りぼっちのパンダ男としての自分と、ご対面してしまったのだ。

彼になんて言葉をかけてあげたらいいのか、私にはわからなかった。
わからないまま、水の入ったコップを手に取った。喉がカラカラだったから。
私の手は、少し震えていたかもしれない。
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