第46章 【深緑色】 限局性恐怖症
(誰かと思ったら…。)
静かに足を踏み入れた少女の姿に
緑谷は一度目を見開き、すぐに和らげた。
それは今しがた思い描いたばかりの少女
轟を諫めるのに適任と評したばかりのクラスメイト。
一体誰を連れてきたのだろうと
こちらまで身構えてしまったが
成程、彼女なら…
(叱ってくれる人、なんて言うから…。)
それは飯田も同様に
同じ温度の息をついていた。
無条件に抱く安心感
彼女なら確かに叱ってくれるだろう。
ベッド脇に立つ轟に
歩み寄る足取りは静かなものだ
幼い頃から変わらない
常に余裕を保っている彼女。
轟と向かい合い見つめ合う
その時間5秒
大方診察をしているのだろう
いつの間にやら
自分たちが背景なってしまったかのような二人の世界に
緑谷と飯田は視線を合わせてクスと笑う。
(きっとお説教だ…。)
(これは長くなりそうだ…。)
始まるのだろう、いつものように
母親が子供に注意するかの様に
あの華奢な手を腰に当て
『もうっ!』と声を上げながら…。
瞼の裏に思い描く
いつものお説教モード
しかし
上げられたその手は腰に当てられることは無く
代わりに、横一文字に空を切った。
――パァン
目の前で
水風船でも割れたかのような衝撃だった。
流石の轟も構えていなかったか
よろりバランスを崩し
ベッドにヘタリと座り込む。
見上げる形となったというのに
亜麻色の前髪に隠された瞳の色を
見ることは叶わなかった。
肩が
震えている。
噛み締められた唇は
白んでいる。
(痛ぇ…。)
打たれた頬よりも
胸が痛い
自覚ならある
自責の念もある
自分は…己の持ちかけた約束を
破ってしまったのだから。
轟は眉間に皺を寄せ
痛む箇所を握りながら
戦慄く唇が開かれるのを、ただ見ていた。
微かな
耳を澄まさなければ聞こえない程の
小さな声だった。
「遭遇しても…手を出すなって、言った。」
だが鮮明に聞こえた
平手打ちの響いたばかりのこの部屋に
他に音はなかったのだから。
「言った、な。」
本当に二人の世界になっていた。
部屋には二つの声しか響いていなかった。