第36章 【深緑色】華と蜂のマリアージュ
温かで湿り気のある風が頬を撫でた
初夏の風が連れてくるのは
青葉揺らし吹き荒れる嵐
「今日は…一緒にいたい…。」
こんな嬉しいことは無いというのに
ハイリの言葉に轟は息を呑んだ
胸を打つ音は一体どうしたというのだろうか
重低音を掻き鳴らし
腹の底を熱く響かせる
風が背から押し寄せて
幾筋もの紅白が視界を過ぎった
今日何度も浴びた爆風を思い出す
こんなレベルじゃなかった
もっと凄い風だった
あの時は何一つ
心は動かなかったというのに
初夏の風に迷いを全て掻っ攫われた
目の前の彼女は瞼一つ動かさず
ベンチに座ったまま瞳だけを揺らす
まるで風がハイリだけは避けて吹き抜けたようだ。
嵐の中、凛と咲き誇る清艶の華
どこまでも見透かすこの華は
言の葉一つで風まで操れるのだろうか?
「だめ…?」
緩やかに瞬いて
そっと開いたその唇が魔法の呪文を唱えると
風に踊っていた毛先が下を向いた
遠くから迫る車のライトがハイリの左頬を照らし
輪郭を曖昧に溶かしていく
影の所為だろうか
とろりと溶けた上目遣いは艶めかしく
瞬きをする度に色を変える
照らされた頬は透き通るようで
誘われるように
手を伸ばし、触れる
輪郭を確かめるように
体温を確かめるように
握られた袖に籠められた力なんてたかが知れている
いとも簡単に振り払える力だ
だが
振り払う事なんて出来る訳がない
おかしいのは男か女か
まるで違う女を見ているようで
確かにハイリだと、その存在を確かめる
妖蜜に引き寄せられるようにゆっくりと屈み
頬に唇に影を落とす
舌先に絡まる甘さも
指先に触れる体温も
いつもより格段と甘く、熱い
蔦のように絡みついてくる腕が
絶対に離れたくないと葉を重ねてくる
一重、二重と
(意を削ぐのにこんな方法があったのか…。)
この華を前にして
抗う事なんて出来る訳がない
声は無く
音も無い
それでも「わかった」と
華奢な体を抱き締める腕の力が
そう、告げていた。
華が風を呼ぶ
風が嵐を呼んだ
迷いを攫って行った
その風の名は
華嵐