第68章 騒動
マヤ「……決めたんだね?」
ケイト「…うん…どれだけ報われなくたっていい…
皆が、その温もりが埋めてくれる。無としないでくれる皆が、すぐ傍にいてくれる。
それだけで、生きているから―埋まっている――報われている
人の人生が、私の人生でないことは百も承知だ。
その上で…何とかしたいという願いが愛故でも、欲が混じって気付かず勝手になっていた。
人の決断まで背負い込むことなかった。実父も、彼も、それを教える為に神から出会わせてもらったのだと思う。
だから…実父や、彼のように…人の傷や心を無いものとして、人の人生を、自分の人生として振り回すのはやめようと思う。
たとえそこに悪気がなくても、してはいけない。された側の経験が、それを許さない。
私は…誤解していた。
尽くし続けていれば…苦痛から助けたい、幸せになって欲しいと想い続けていれば…いつか通ずるのだと……
でも…そんな訳なかった。
通ずる人と、通じない人がいた。
それだけの、簡単なことに…私は気付けていなかった。
通じない人に想い続けて尽くした所で、辛いだけだ…
いつか思い通りにいかないと憤慨するかもしれない、それでは勝手だよね…
自分の頑張りが無駄になることへの怒りなんだから…」
マヤ「そうさね…例として挙げるのなら……
「ふざけるな!何の為に戦ってると思ってるんだよ!皆で雪合戦するんだ!花火見るんだ!だから戦うんだ!だから強くなるんだ!また皆で笑いたいのに、君が死んだら意味がないじゃないか!」という言葉。
結局は自分がこうしたいという欲…勝手……
本人のしたいこと、欲よりも自分。
一見命の重さを説いているようだが…見方を変えれば、「自分の思い描く未来=理想が実現しなくなること、自分のしてきた頑張りが無駄になること、自分の思い通りにならないこと」への憤慨。
欲がない訳ではない。命を想っての哀しみも涙もなく、怒りが主だっている。
命を想っていればいるほど、大事であればあるほど…喪われる場面に直面した時には、喪われることへの恐れ、哀しみ、涙が止められないものだよ。
大事な人を喪っているものなら、誰にでもわかる。そこには怒りなんてものよりも、圧倒的な哀しみが、やるせなさが残るんだよ。
だが…どんなに大事であっても、人を、己としてはいけない。
自分本位になってはいけない」