第8章 小田原城
盃が空にならない様、常に気にしながら酌をしていったが用意してもらったお酒はもう無くなりそうだった。
『あの、こんなに飲んで大丈夫ですか?お体に障りますよ』
さすがに心配になってきて声をかけてしまう。
『心配してくれるのか?俺は信長を殺そうとしている相手なのだぞ?』
氏政はそう言って笑みを浮かべながら再び盃を口元に運ぶ。
確かにそうだ。
勝手に飲ませておけばいい。
でも少しだけ自分の本音が出た。
『お酒に飲まれてしまっては本気で語り合う事など出来ませんから』
氏政は一瞬驚いたような表情をした。
『そんな事を言うのはお前が初めてだ。
皆、囲碁の勝負にはわざと負け、酒を勧めれば嫌だと断る事も出来ず潰れるまで飲む。
だがお前は違うのだな』
そう言ってふっと短く笑った。
心に秘めた寂しさが少しだけ見えた気がした。
『相手が誰であろうと関係ありません。
一人の人として接しているだけです』
ごく普通の事のはずなのに、時代が違うと普通ではなくなってしまう。
だとしても考えを変えるつもりはないけれど。
『今宵は良い酒が飲めた。感謝する、また付き合え』
『はい。こちらこそありがとうございました。梅酒、とっても美味しかったです』
部屋を出ようとして立ち上がり、廊下に出ようとした時だった。
急に後ろから氏政に抱き締められた。
『まだ行くな』
『氏政様?』
酒に酔ってしまったのだろうか。
突然の事に一歩も動けなくなってしまった。