第40章 最後の勝負
信玄が文机で筆をさらさらと走らせていると、突然部屋の襖が気持ち良い音を立てながら開く。
『いるなら邪魔するぞ』
『謙信か、また突然の訪問だな。毛利の鼠を退治するのに俺の腕が必要になったのか』
それを聞いて謙信が腰の姫鶴一文字に手をかける。
『斬られたいのか、そんな訳ないだろう。俺一人でも十分だったぞ』
『そうか、あっという間に片付いたみたいだな。で、軍神は丸腰の相手を斬るつもりか?』
『………ちっ。斬り足りぬ、後で鍛練に付き合え』
謙信は姫鶴に伸ばしていた手をそっと離した。
『で、なんの用だ』
『惚(とぼ)けるな。信長の懐刀の事だ』
『ああ、姫に返したぞ。あんな交換条件突き付けられたら刀の一本くらい返すだろ……って、本当は大人げない自分が情けなくて返した、3回も振られたんだぞ』
『……は?』
『何でもない。こっちの話だ』
『そうか。では……甲斐に戻るのだな』
『まあ、いずれはそのつもりだ。共同統治とはいえ俺が主導だからな。主導者がいつも不在では何もかも不安定になる。謙信、お前なら分かるだろう?』
もちろん信玄の発した言葉を謙信は誰よりも理解している。
『甲斐に戻る時期が決まったら必ず早めに知らせろ。武田の軍旗を作って土産に持たせてやる』
いつかまた甲斐の青空に武田の軍旗を堂々と掲げたい、信玄が盃を手に熱い口調でそう言っていたのを謙信が忘れるはずがない。
『ありがたい、感謝する。甲斐を取り戻す足掛かりにしたいものだな』
そう言って信玄は再び筆を走らせる。
ほんの数分の短いやり取りだが2人の言葉に一切嘘はなかった。