第6章 春の嵐
顔を伏せたままの私の手をそっと握ってくる皐月くん。
「…嫌です。絶対に忘れません」
「……、」
「桜子さん…こっち向いて?」
頬に手を添えられ、少し強引に顔を上へ向かされる。
濡れた黒い瞳と目が合い、ドクンと心臓が大きな音を立てた。
――もうこの瞳からは逃れられないかもしれない…
ふとそんな考えが頭を過る。
「…そんな可愛い顔されたら、我慢出来なくなります」
「ぁっ…」
空いている方の手で腰を引き寄せられ唇を奪われた。
初めから舌を捩じ込まれ、荒々しく口付けられる。
寝起きでまだ覚醒しきっていない私をとろとろに溶かすには十分なキスだった。
「…チェックアウトの時間まで…もう少し桜子さんを感じさせて下さい」
「っ…、皐月くん……」
(イイ天気…)
ホテルを出ると、昨日の嵐がまるで嘘だったかのようによく晴れていた。
結局あの後私たちは、チェックアウトの時間ギリギリまでベッドの中で過ごしていたのだが…
(私…何やってるんだろう……)
最後までしていないとは言え、まだ付き合ってもいない男の子となし崩しにあんな事をしてしまって良かったのだろうかと自己嫌悪する。
勿論皐月くんの気持ちは嬉しい。
けれど昨夜も今朝も、私はただ雰囲気に流されてしまっているような気がして…
「…桜子さん?」
「…!」
不意に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
隣を歩く彼の方を向けば、その顔は私を心配そうに見下ろしていた。
「具合いでも悪いんですか?」
「えっ……ち、違うの!何でもない!」
「…本当に?」
「ホントに大丈夫!」
「それならいいんですけど……朝から無理させちゃったかなと思って…」
「っ…」
だからなんでそういう事をしれっと言うかな…
心の中で溜め息をついていると、そっと手を握られる。
「でも…本当にありがとうございます」
「え…?」
「今年の誕生日は…俺にとって最高の日でしたから」
「……、」
屈託の無い笑顔でそう言う彼。
昨日のようにどこか強引で色っぽい彼にも…
目の前で無邪気に笑う少年のような彼にも…
きっと私は好きになりかけてる…
(だから…もう少しだけ時間をちょうだい……)
そう思いながら、私は彼の手をそっと握り返した…
*