第1章 朔
忘れもしない大雨の日だった。
外では大嫌いな雷が鳴り響いていて、とても1人では過ごせないと思ったんだ。
「泊まって…。お願い。」
そう言った私に、蛍はyesとも、noとも言わず、ただ無言だった。
雷は鳴り止まず、1時間、2時間と時間だけ過ぎた。
「蛍…そろそろ寝るよね?えっと…私、ソファーで…」
何を考えていたかは、よく覚えていない。
雷が怖いとか。無言の蛍が嫌だとか。それでも1人にはなりたくないとか。早く寝ないと明日も予定が…とか…そんな事だったと思う。
そんな私の考えを見透かしたように、蛍が深いため息とともにこちらを見た。
「はぁ。本当…いい加減にしてよね。」
それからの事は、ハッキリ言ってよく覚えていない。
蛍が普段見慣れた眼鏡を外して…
ドンっと衝撃を感じた時には組み敷かれていた。
初めてのキスだったし、もちろんセックスだって初めてだった。
好きな人と出来て嬉しいとか考える暇はなくて、
蛍がイライラしてるのが…嫌だったりとか。
いつもと雰囲気の違う蛍が…知らない人みたいに見えて…怖かったりとか。
そういう感情の方が勝っていて、
蛍がベッドから起き上がる頃には訳もわからず泣きじゃくっていた。
だから、聞けなかった。
なんでこんな事したの?
そんな簡単な事が聞けなかったし、蛍も何も言わなかった。
不安な気持ちで過ごしたのは半日だけだった。
朝になる頃には雨も上がって、家に帰ると出て行った蛍が、
おばさんからの差し入れだと、サンドイッチを持って再び訪ねてきたのはお昼前の事で、
蛍はイライラした様子もなく、普段通りの蛍で…
私も蛍を怖いと思うこともなく、普段通りで…
そして、私たちは当たり前のようにキスをした。
「ねぇ、和奏。いつまでもぼーっとしてるなら、先に行くけど。」
蛍の言葉でふと現実に引き戻される。
見ると、蛍は玄関で靴を履いている最中だ。
このままでは、本当に置いていかれる。
「ちょ…待ってよ。もう準備出来るから。」
なんで…。
あの時聞けなかった言葉は、今も私の中に引っかかったまま。
左足をローファーに押し込みながら、心にも無理やり蓋をした。