第1章 明日も笑おう
ふと、足を止めた。
部活を引退して就職活動をしている時のこと。
その帰り道。
音が聞こえた。
ピアノの音。
とても静かで、だけどその中にも響きがあって重さもあるような……。
どこかで聞いたことのある旋律。
絶対に知っているその音楽に俺は耳を澄ませた。
泣き出したくなるような。
厳格。
絶望。
「あ……」
"月光"だ。
ベートーヴェンが作曲した曲だ。
一体誰が弾いているんだろうか。
音だけで伝わるほど、その音色は悲しい。
そして、先ほどとの静かさとは打って変わり、曲のスピードが上がった。
そして迫力も増した。
まるで何かを葛藤を抱いていた感情が爆発したような。
さっきまでの繊細でだけど緊張感のある音色ではない。
荒々しく、突進してくるその音色は違う曲のように聞こえる。
そして、全ての不満や不安、怒り、悲しみを出し切ったように、静かにピアノの音色は消えていく。
しばらくそこを動けなかった。
まさか家に帰るまでの道のりで、こんな音楽に出会えるとは思わなかった。
明りがついている部屋を俺は見つめる。
そこできっと誰かがピアノを弾いている。
明りが消えると、俺の意識も現実に戻ってくる。
数十分の間だったけど、まるで幻想の世界にいるような気分だ。
その日は、ベッドに入って眠るまでピアノの音が頭から離れずにいた。