愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第13章 雲外蒼天
智side
澤が連行され、未だ混乱を極める最中、騒動に紛れるように僕は松本の屋敷を出た。
一度(ひとたび)潤に見つかれば、確実に連れ戻されるであろうことを懸念した雅紀さんの計らいだった。
雅紀さんの馬車に乗り込み、すっかり茜色に染まりかけた夕空を見つめていると、初めて松本の屋敷を訪れた時の事が、まるで走馬灯のように脳裏に蘇ってくる。
あれから数ヶ月も経つと言うのに、外の景色は何一つ変わることなく通り過ぎ、やがて見覚えのある街並みが見えて来た。
「あっ‥」
「どうした?」
思わず声を上げた僕を、雅紀さんの不安そうな顔が覗き込む。
「いえ、大したことじゃないんです。ただ、いつか雅紀さんと一緒に食べたお団子屋さんがあったから‥」
人目を憚ることなく手を繋ぎ、赤い毛氈(もうせん)の敷かれた縁台に座って食べたあのお団子の味は、数ヶ月経った今でも忘れることなく僕の記憶に残っている。
「久しぶりに食べて帰ろうか?」
雅紀さんは御者に馬車を止めるよう伝えると、御者が扉を開ける間も惜しんで、我先にと馬車から飛び降りた。
そして「さあ」と僕に手を差し出すと、あの頃と変わらない笑顔を浮かべた。
でもごめんなさい…
僕はもうその手を取ることは出来ないんだ。
その手はもう僕の物ではないから‥和也の物だから‥
僕は差し出された手を取る事なく馬車から降りると、履き慣れない靴のまま、団子屋に向かって駆け出した。
もし振り返ってしまったら‥
雅紀さんの寂しそうな顔を見てしまったら‥
僕はあの時この手を離してしまったことを、酷く後悔すると思ったから‥
それに僕には翔君がいる。
まだ共に歩くことは出来ないけれど、心はいつだって共にあると‥、そう誓い合った。
だから今の僕には、支えてくれる手は必要ないんだ。
「ねぇ、雅紀さん。雅紀さんのお母様にもお土産で買っていってはどうかな?和也が随分お世話になったようだし‥」
僕は遅れて暖簾を潜った雅紀さんの羽織の袖を引っ張った。
「それは良い考えだ。母上もきっと喜ぶよ」