第4章 番外篇・僕と『ヒゲ』
『愛について~師と弟子~・1』
「君は、どうやって上林くんを手懐けたんだ」
関西のリンクでの合同練習中、藤枝はかつて純が故障直前までついていたコーチからそう尋ねられた。
「当時のあいつは、誰も引き受けてくれるコーチがいなかったからな。偶々残ってたのが俺だっただけだ」
あいつが手懐けられるタマか、と内心思いながらも、藤枝は淡々と返す。
かつて再起不能レベルの大怪我を負った純は、最後と決めていたシーズンが自身のせいで台無しになってしまった事で、一時期全てを放棄して親戚宅に引き籠っていた。
そして、そんな純の態度に不満と不信感を覚えた者もおり、その後競技を再開した純に対して冷徹な態度を取る者も少なくなかったのだ。
「再開した彼が、コーチ探しに難儀していたのは知ってる。だが、俺の所には何の連絡も来なかった」
「当時も今もお前は多くの選手を抱えてるから、無理だと思ったんじゃないのか?」
藤枝の言葉にも一理あるが、先程も最低限の挨拶だけ交わした純は、後輩達の指導に向かって、それきり一度も接触して来ようとしなかった。
そしてそれは、遠慮からではない別の思惑によるものである事を、彼は短くないコーチ生活の中で痛感していたからだ。
「当時の俺は、彼に対して厳しい指導をしたかも知れない。だがそれは、期待してたからこそ…」
「…何かに付けて、勝生を引き合いに出す事がか?以前滅多に弱音を吐かないあいつが零してたぞ。『あの人は、僕やなくて勇利くんを見てた』ってな」
「違う!俺はただ、上林くんに勝生くんというライバルを意識して貰おうとしただけで」
「俺に言ったって仕方ねぇだろ。確かにそうやって発奮させる指導法もあるが、それが効果を発揮するのは相手次第、それも一時的な事で、フォローを間違えると生徒に余計な疲労を蓄積させるだけだ」
何処か突き放すような藤枝の返事に、そのコーチは思わず口を噤む。
「お前が必要以上に純に入れ込んでたのも、当時の勝生のコーチが、現役時代のお前のライバルだったからだろう?自分を代理戦争につかうようなコーチを、生徒が信用してくれるとでも思ってんのか?」
「な、それは…!」
「違うとは言わせねぇぞ。結局それでお前も『ヤツ』も、純と勝生に逃げられたんじゃねぇか」