第15章 スモーキー・ブルース/烏養繋心
もしかして、あれは夢だったのか。
なんて一瞬思ってしまうくらい、彼女の態度はそれまでと変わらなかった。
だけど握りしめた手首の細さも、口づけた肌のぬくもりも俺は覚えている。
昨晩自分がやった事が妙に恥ずかしくなってきて、それ以上さんの顔を見られなかった。
軽く身支度を済ませて居間に戻ると、さんは帰り支度をしていた。
「朝ごはん出来てますから、よそって食べてくださいね。…昨日は泊めていただいてありがとうございました。失礼します」
俺が何か口を挟む前に、さんはそそくさと出て行ってしまった。
1人残された俺は、湯気のたつ鍋を見てため息をついた。
朝飯を食って、食器を片付けて一服して学校に向かう。
その間中、いや部活の間も、俺の頭の片隅にはさんの姿がちらついていた。
翌日、さんは家に来なかった。
今までだって毎日来ていたわけじゃないから、昨日の今日では顔を合わせづらいのだろうとしか考えていなかった。
だけど、その次の日も、そのまた次の日も、彼女は来なかった。
それは俺が待ち望んでいた展開だったはずなのに、妙に寂しさを感じてしかたない。
せいせいしているはずなのに、ふとした瞬間にさんの顔が浮かぶ。
夕飯に母ちゃんの作った豆腐とわかめの味噌汁が出てくると、ああさんの具沢山な味噌汁が食いてぇな、と思う俺がいる。
あの甘辛い豚肉と玉こんにゃくの煮物も、ふわふわの卵焼きも、もう口に出来ないんだろうか。
「最近ちゃん家に来ないけど、あんたケンカでもしたの?」
飯時に母ちゃんに尋ねられて、言葉に詰まった。
「いや……別に……」
「そうなの? どうしたのかしらねぇ。体調でも悪いのかしら」
さんが来なくなったのは、あの夜の事が原因なのは明白だ。
だが、それを正直に母ちゃんに言う訳にもいかねぇ。
「様子見に、家に行ってみようかしら」
「やめとけよ。…そのうち、来るだろ。さんだって用事とか色々あんだろうし」
「そうかねぇ……」
そのうち来る、だって?
あんなことをしておいて、俺の口はよく言うぜ。
きっとこのまま彼女は来ない。
母ちゃんのため息が大きくなる前に、飯をかきこんで居間を離れた。