第8章 春風/田中龍之介
だからほとんど話したことのないまま、月日は過ぎて行った。
ある日、田中くんと日直をすることになって、その日は朝から少し憂鬱だった。別に一日一緒に行動するわけじゃない。だけど、近寄りがたい田中くんと日直の事で話すのですら緊張してしまって、気分が重くなっていた。
でも気に病んでいたほど何事もなく過ぎて、あとは日誌を書き上げて教師の元へ持って行けば、日直の仕事は終わりだった。
だけど。
「部活部活ー!!」
「田中あぶねーって!」
「悪ぃ!」
声をかける間もなく、HRが終わると同時に田中くんは教室を飛び出してしまっていた。日誌には、日直がそれぞれ一日の感想を書く欄がある。他の部分は私が書き上げるにしても、その部分だけは田中くんに書いてもらわないといけなかった。
仕方なく、田中くんの元に日誌を持って行くことにした。
確か、田中くんはバレーボール部だったはず。バレー部の活動場所は……。
「えっ、男子はこっちじゃないよ? 男バレは第二体育館の方」
「あっ、そうなんですか……! お邪魔しました!」
「いいえ~」
なんでうちには体育館が2つもあるんだろう。覗き込んだ第一体育館は女子バレー部とバスケ部が使っているらしく、田中くんの姿は無かった。
女子バレー部の人に教えてもらった第二体育館を目指して、私は駆け出した。
体育館の扉は全開になっていて、中の様子が少し離れた場所からもよく見えた。コートを所狭しと駆け回るバレー部員の人達の中に、田中くんの姿を見つける。
普段、教室での姿しか見たことなかったから、真剣な表情の田中くんにすこしドキリとした。
派手な音をたててボールを打ち込んで、ガッツポーズを決めて叫ぶ田中くん。
笑顔で他の部員とハイタッチをする田中くん。
ミスをして、あちゃあという顔をする田中くん。
見たことのない顔に、私の胸の鼓動はどんどんと早くなっていった。いつもの怖い田中くんはそこにはいなかった。そこにいたのは、私の知らない、田中くんだった。
早く日誌を書いてもらって、帰りたい。ここに来るまではそんな気持ちでいっぱいだったのに、今は少し違っていた。
もう少し、田中くんを眺めていたかった。自分の知らない彼の姿を、もう少しだけ、知りたいと思っていた。
「……どうしたの? 何か、用事?」