第8章 春風/田中龍之介
ひらひらと舞い散る薄桃色の花びらの中を、慣れないヒールで駆けて行く。
何度季節が巡っても、学生時代から緊張しいな性格は今も変わらず。初出社を前にして、私は不安でいっぱいだった。昨日だって全然眠れなくって、目の下のクマは化粧をしてもうっすらと顔を出している。
「わっ!」
そんな声とともに、私は盛大に地面に抱き着いた。あぁ、真新しいスーツが。鞄が。ストッキングは破れてないかな。替え、鞄に入れてたかな。
「大丈夫ですか!!!」
派手に転んだままの私の横を、足早に通り過ぎていく人が多い中で、誰かが心配そうに駆け寄ってくる音がする。降りてきた影は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
見上げた先の顔は、逆光のせいでよく見えない。思わず目を細めたけれど、状況は変わらなかった。ただ、そのシルエットで、声をかけてくれたのはお巡りさんだということは分かった。
「あ、だ、大丈夫です……」
「立てます? 足、挫いたりしてないっすか?」
「多分……大丈夫だと思います」
お巡りさんが手を貸してくれて、私は立ち上がった。体についた砂を払って、派手に伝染してしまったストッキングが目に入りため息をつく。
立ち上がった私を確認して、お巡りさんは道端に散らばった荷物を拾い始めた。慌てて私も彼の後を追って、荷物を回収する。
「すみません、ありがとうございました」
「いえ! 大きな怪我なくて良かったですね!」
頭を下げた私に、お巡りさんは白い歯を見せて、にかっと
笑った。その笑顔に、私は既視感を覚えた。
「……た、なかくん?」
口をついて出た、高校時代の級友の名前。もしかしたら他人の空似かもしれない。間違っていたら恥ずかしい。
けれど、目の前のお巡りさんがすごく驚いた顔をしたから、間違いではないみたいだ。彼は、あの、田中くんだ。
――田中、龍之介くん。
「えっ、俺の名前なんで知って……」
田中くんは驚いた顔のままで、固まってしまっていた。私が誰なのか記憶の中を必死で探っているのだろう。だけど思い当たる人物がいないのか、驚き困惑したままだ。
「私、です。高校2年の時、同じクラスだったんだけど……覚えてないかもね」