第1章 帰って……きた?
足を滑らせた。
頭打ちそうだなぁとか、血は出るかなぁとか、暢気に考えながら衝撃を待つ。
…しかし、待てども待てどもそれは来ない。
恐る恐る片目ずつ開くと、淡くやさしい桃色が見えた。
よく見れば、それは桜だった。
目と鼻の先で咲いている桜に、物珍しさで手を伸ばす。
さっきとはまるで違う場所にいるだとか、なぜ今の時期に桜が咲いているのかなんて、不思議と気にならなかった。
「主」
幻想的な風景のなか、穏やかに響いたその声の主が気になって、桜に触れるのを後回しにあたりを見回す。
「ふ…主、下だ」
笑みを含んだその声に従い、下を向く。
と、ぐらり。
身体が浮いた。
なるほど。
木の上だったから、桜の花がこんなにも近かったのか。
主!と叫ばれた声は、とてもかっこよかった。
ぼふっ。
落ちる私は、何かに抱きとめられた。
「全く、危ないじゃないか…」
鶯色のさらさらな髪。
「……君はいつもそうだ」
鶯色の透き通った目。
私はこの人を知っている。
「う、ぐいす……まる……」
呼べば、優しく微笑むその人。
「ああ……。主、鶯丸だ」
私を抱きとめたとき、彼は衝撃で尻餅をついてしまったようで、今の私は座り込む彼の上に乗る状態だ。
密着している。
なんだか、彼の鼓動が早い気がした。
「さあ主、もうすぐ昼餉の時間だ。本丸に戻ろう」
私を姫抱きし、彼は立った。
そのまま優しく私を下ろしてくれる。
「ありがとう……」
本丸へと向かう道を歩く途中、彼は何度も確かめるように、主、主と私を呼んだ。
私は本当に彼の主なのだろうか。
和様の屋敷が見えてきたところで、彼はすっと私の手をとった。
あまりにその動作が自然で、驚くも喜ぶ間もなく、されるがままになる。
足元を見れば、屋敷まで転々と続く敷石。
これに躓く心配があったのか。
ふと敷石をジャンプして渡りたい、そんな子供心が芽生える。
ダメだダメだ、子供じゃないんだから、と抑制する自分と子供心がせめぎ合い、ついに私はひとつ、ジャンプして渡ってみた。