第49章 好きになったもの。後編…中原中也誕生日 4月29日記念
少年は、ほんの少しだけ未来(さき)のことを視た。
それは三島が仕えている森鴎外によって
「少し先の未来から見ていたのだとしても、判っていても言わないでほしい」と言われたその"未来"のことだった。
そうは言っても当時6歳か、7歳か、何歳か
三島が『何も手を打たない』という選択肢を選ぶことは皆無。
斯くして三島はほんの小さな幼少期にこの先のことを見据え、できる限りの策をほどこした。
それが––––人でなくなることにつながってしまったのだ。
「あれが当時の僕にできた最善策だった。
あんなものを見て『何もしない』、それだけは出来ない相談だ。
まあ、たったそれだけだったんだけど……
七つまでは神のうちって言うから、"接続"できるかなってまさに神頼みで降ろしたら出来てしまったんだ。
ただ、それだけだよ」
「……………………え?」
思考、数瞬停止。
三島の、人ならざるナニカの言ったことを
再び高速回転し始めた脳で理解する。
降ろした––––おろした、つまり彼は、三島由紀夫は。
「まあ……つまりはさ、僕はたしかに人じゃない。
知恵の産物たる太宰には判るだろう?
七つまでは、なんて言うけれど
それが現実になった瞬間、周りの人間は僕をあらゆる方法で殺害することを試みた。
閉じ込められていた期間に行われたのは……
虐待というより虐殺だったね」
当然の対価だ。
否、だがしかし、それでも判らないことがある。
幼少期の三島が何十年か先の……少し先の未来が判る少年だったとして、
滅びに対するカウンターをその時点で行なっていたとして。
1番肝心なのは、降ろした対象が三島本人ではない、ということだ。
自らは単なる巫子役のような装置に過ぎず、
自分ではない誰かを一方的に犠牲にしたのが判ってしまう。
嗚呼––––……これが……
「だけど僕は死ねなくなってしまったから……それで最終的には小舟に乗せられて流刑にされた。
そんな僕を拾って、その後の政府への面倒な支払いをすべてしてくれたのが森さんだったんだよ」
人ではない者の恐ろしさか。