第42章 倒錯……V
「なんでこんな事に––––––……」
はあ、と太宰はため息を吐き出しながら気怠げに前を向いた。
自分の席は後ろの方で、前にいる大学生たちは熱心…とも言えないが、
取り敢えず思い思いにノートをとったりして講義を受けている。
「まあまあ、これも国木田と真冬が下調べするための時間稼ぎなンだ。
適当に聞いている体裁作っときな」
太宰の隣に座っているのは、医学生然とした与謝野女医。
側から見れば美男美女だが、こんな学生に見覚えはない。
当たり前だろう。
––––「消えた300人の中にいた学生はいずれも全寮制大学の生徒たちが多く……
この附属大学を傘下とする、坂島付近の医療機関はその病院が一つ。
これほどきな臭いものもあるまい」……
というわけで、この2人が今受けているのは心理学科のうちの知覚心理学の講義。
一コマ90分、ガラガラと上下にスライド出来る大きな黒板にはびっしりと専門用語が並んでいた。
「……社長は何をお考えなのでしょう」
「さぁねぇ?
真冬にでも聞いてみな」
嗚呼、そこで彼女の名前が出るのですかと太宰が内心で呟いた。
遠ざかる存在を追うのは容易い事ではない。
身体的な距離なら兎も角、心の距離というものは目には見えないのだから。
「……深部感覚、ね」
与謝野女医が手元のノートに書き留めた。
板書だなんて何年振りだろうか。
「分野は違いますが、パブロフの犬という実験が在りまして––––」
講義をしているのは壮年の男。
五十代前半あたりというところか。
「……不思議な実験もあるもンだね」
「日常化したものは、簡単には引き剥がせない。
パブロフの犬の実験で判る事ですね」
おや太宰はこの実験のことを知っていたのかい、と与謝野女医が講師の方を見ながら太宰に問うた。
太宰は頷く。
「ええ。こういう話が好きそうな友人がいるもので……」
本当は私が真冬と共に、フィールドワークに出たかった。
だが、乱歩さんに袖を掴まれて言われたのだ。
「––––ま、たまには国木田と2人にさせてあげようよ」