第32章 弥生月の願い鶴 / 豊臣秀吉
「……すごい桜の木だな」
一人湯船に浸かりながら、秀吉が感嘆の声を上げた。
宿から少し歩いた所にある、その温泉。
丸みのある、少しぬるめのお湯が、なんとも心地よいのだが……
それだけでなく、景色も抜群だった。
すぐ傍に一本の桜の木があり、花びらが散っては、温泉へと舞い落ちる。
もう樹齢は何百年も経っているのだろう。
安土城の桜とは、また趣きが違う。
頭の上は、空と桜の枝で埋め尽くされ……
なんとも言えない至福感に浸っていた。
「舞も早く来ればいいのに」
舞と一緒に温泉は初めてだし、一緒に湯浴みしたのもいつ以来か……
早くあの柔肌に触れたい。
そして、とことん甘やかしたい。
それだけを思っていた。
すると。
「秀吉さんっ」
「っ!」
突然、可愛らしい声と共に、目の前が暗くなる。
温かくて、小さな手の感触。
秀吉は、その目を塞いでいる手に触れ、少し苦笑して言った。
「遅いぞ、舞」
「ごめんなさい」
肩越しに声が聞こえる。
振り返ると、手ぬぐいで身体を隠した舞が、くすくす笑っていた。
「桜、綺麗だね。 お湯もなんか、いい匂い」
そのまま舞が湯船に入ってくる。
ちょっと間を開けて座り込んだ舞に、秀吉は不満そうに言った。
「なんでそんなに離れてるんだ?」
「え、だって恥ずかしいし……」
「恥ずかしがるな……こっち来い」
「わっ」
舞の腕を引き、膝の上に座らせる。
向かい合わせの格好になり、舞は秀吉の肩を掴んで頬を染めた。
「……顔、赤いぞ」
「だ、だって、なんか照れる」
「温泉行こうって言ったのはお前だぞ、当然一緒に入るんだから、こうなる事は予想済みだろ」
「そ、そうなんだけど……」
「手ぬぐいも邪魔だな」
舞の身体に巻き付けてある、手ぬぐいをひっぺがすと、舞は必死に前を隠す。
秀吉は片手を舞の腰に回し、空いてる手で隠す手を取った。
「なに悪あがきしてんだよ」
「なんか恥ずかしいんだもの」
「もっと恥ずかしい姿だって、いつも見てる」
「あ……っ」
手の甲をやんわり噛まれ、舞の口から、するりと甘い声が漏れた。