第53章 躊躇*
今日も遅くなっちゃったな。
ちょうど打ち上げが重なる時期で、最近は帰りも遅い。
平日は収録やら取材やらライブのリハーサル。
週末もイベント続きでなかなかヒナちゃんと話せていない。
寝てる彼女に話し掛けてるけど。
それは会話じゃないよね。
自答すれば失笑してしまう。
今日は起きてるかな?
「この辺で大丈夫。」
「少し歩きたい気分なので。」
マネージャーの車を降りて歩道を歩く。
夜風は湿気をはらんで心地よい気分にはなれない。
明日は地方でイベント。
朝早いからツラいな。
少し歩けばマンションが見えた。
街頭の明かりが微かに女性の姿を捉える。
すぐに分かった。
ボクの会いたかった人だから。
日付が変わって大分経つこの時間に、この場所で会えるなんて心が弾むよ。
自然と足取りは軽くなる。
今日はどんな話をしよう。
こんな時間なら日菜乃ちゃんも打ち上げか飲み会だったのかな?
そうだ。後ろから抱き付いたら驚く?
ウインカーが点滅し走り出す車。
日菜乃ちゃんのマネージャーさん?
いや。違う?
スタッフでも乗ってる?
それなら見えなくなるの待った方がいい?
手を振り続ける姿。
スタッフにあんなに手を振る?
心拍数が上がる。
無意識に早くなる足取り。
ねぇ?
そんなに夢中で誰に手を振ってるの?
キミの影がボクに重なる。
真後ろに立っても気づかない。
その視線の先に誰がいるの?
小さくため息を付いてボクに気づかず歩き始める日菜乃ちゃん。
「誰に送って貰ったの?」
ボクの声に驚き振り返る。
「岡本さん!お帰りなさい。」
「一緒になるなんて、驚きました。」
「ね?誰?」
「え?」
「さっきの車誰?」
「…櫻井さんです。」
「櫻井さん?一緒だったの?」
「現場で一緒になってお食事に誘われて。」
「ふーん。そうなんだ。櫻井さんね。」
「そっか。」
聞きたいことは沢山あるのに…
もし聞きたくない言葉が聞こえたらと思うと踏み出せない。
手を差し出せば握ってくれる小さな手。
こうして手を繋ぐなんて、どれくらいぶりだったかな?
日菜乃ちゃんの歩幅に合わせてゆっくり歩く。
今は余計なことは考えたくない。
一緒に帰ろう。
ね?日菜乃ちゃん。