第9章 1864年【後期】 門出の時
それからまたゆっくり歩きながら屯所を目指す。
帰り道は、口から出まかせの冗談話ではなくて、普通の話をして帰った。
なーんだ。
夢主(姉)ちゃんは思っていたよりずっと気楽に話せる。
夢主(姉)ちゃんに会う度に苛々してたあの感情はなんだったんだろう。
今は苛々はしない。
そのかわりに…僕の話を聞いて笑ってる夢主(姉)ちゃんに、どうしようもなく苦しくなるほど心臓の音が早くなった。
もうすぐ壬生寺。
壬生寺を過ぎればすぐ屯所に着く。
もう少しこの時間を過ごしたいだなんて…僕はどうやら本当に夢主(姉)ちゃんの魔の手にかかっちゃったみたい。
壬生寺の前に来た所で、勢い良く夢主(姉)ちゃんの腕を掴んで、壬生寺の入り口の塀の裏側に引き込んだ。
そして勢いに体勢を崩した所を抱きしめる。
力を込めたら折れちゃいそうなのに、すごく柔らかい。
きっと僕の心臓は、ちょうど夢主(姉)ちゃんの耳あたりにあるから…大きな音でとっても速くなってる事がばればれだと思うけど。
夢主(姉)ちゃんの心に居るのは、僕じゃない事くらいわかってるよ。
恋仲になりたいなんて思ってないし。
でも抱きしめずにはいられないみたいだ。
これ以上触れたいなんて思わないから…もう少しだけこのままいさせて?
抱きしめる腕に力を込めて、首筋に顔をうずめる。
冷えた夜風はかなり冷たいけれど…腕の中の夢主(姉)ちゃんはすごく暖かかった。
「何か言わないの?」
抵抗することも無く、黙ったままの夢主(姉)ちゃんに問えば、
「あったかい…」
なんてまた能天気な答えが返って来た。
ああほんと…苛々するのを通り越しちゃったよ。
ずっと靄がかかってたみたいだった想いは…通じ合ったわけじゃないのに、すっきり晴れてどっかに行っちゃったみたい。
「ねえ…夢主(姉)ちゃん」
腕の力は緩めて、夢主(姉)ちゃんに話かける。
「明日から頑張ってね。」
そう言えば、ずっと僕の胸におでこをつけて下を向いていた夢主(姉)ちゃんは顔をあげて微笑んだ。
いつかまた…ゆっくり話せる日が来るといいね。
見上げた空に浮かぶ弓張月は、なんだか笑ってる口元みたいに見える。
そんな能天気な夜空を多分僕は忘れない。