第9章 1864年【後期】 門出の時
夕餉を食べる気がしなくて、作ってる勝手場までいらないと伝えて来た。
一君がなんだか浮かない顔で夜の巡察へ行ったけど…やっぱり夢主(姉)ちゃんの事かな。
まあ僕には関係ないや。
それにしても…芸妓なんてよく思いついたよね。
ぴったりなんじゃない?
勝手場から部屋までの距離をそんな事を考えて潰した。
ひきっぱなしの布団に転がって、天井の節を数える。
昼の巡察の時…夢主(姉)ちゃんが昨日まで働いてた甘味屋の前を通り過ぎたけど…当たり前のように夢主(姉)ちゃんは居なかった。
それが妙に寂しかっただなんて思いたくないのに。
さっきから夢主(姉)ちゃんが明日から居ないってことばっかりが頭に浮かぶ。
僕にはどうでもいい事なはずなのに。
頭の中を振り切るように目を閉じても、夢主(姉)ちゃんが柔らかかった事とか…そんな事しか浮かばない。
「沖田さーん」
暗くなってるけど、灯篭をつける気も起きない。
暗いままの部屋の前で、夢主(姉)ちゃんの声がする。
「沖田さーんいますかー?」
ああめんどくさい。
心臓が痛い。
「沖田さーん」
能天気な夢主(姉)ちゃんの声に苛々して、無言で襖を開けた。
「あ。いた!お薬とごはんです。」
「千鶴ちゃんは?」
心臓の音がうるさくて。
夢主(姉)ちゃんが来た事を嬉しいなんて思ってるのがばれてしまわないように、できるだけ冷たく言葉を出した。
「千鶴ちゃんがいいんだけど。」
目の前の夢主(姉)ちゃんを見下ろせば、「はいはい、私でごめんなさいねー」なんて言いながら部屋に入ろうとしてる。
「夕餉はいらないって言ったはずだよ?それに…」
「千鶴ちゃんが沖田さんが食べやすいものをって…大根おろし入りのおかゆだそうですよー。」
それは僕の好きなやつだし、こうやって此処に夢主(姉)ちゃんが来てるのも千鶴ちゃんの差金だよね。
ほんと…お人好しって困るよ。
「ああもう。わかったよ。そこに置いといて。」
こんなやり取りをするのもめんどくさくなって適当に言えば、夢主(姉)ちゃんはすたすたと部屋に入って盆を置いた。
「そう言えば山崎さん知りません?」
真っ暗な部屋からぴょこりと出てきた夢主(姉)ちゃんはやっぱり能天気で、苛々を通り越して慣れたのか、心地よくなってきた。