第9章 1864年【後期】 門出の時
「大丈夫です。すみません。少し気を抜きすぎてました…」
「今日はいろいろ思うこともあるだろう。」
あんたでも声をかけられるまで気がつかない、なんていうことがあるのだな、なんて言いながら少し微笑んで、斎藤さんは私の隣に腰を下ろした。
少しの間、静かな沈黙が訪れた。
そういえば境内でのお稽古も、斎藤さんには見られたことあったなぁ…なんて思い出してまた笑ってしまった。
「何か可笑しいか?」
「いえ。斎藤さんにはいろんな姿を目撃されてるなぁと思って。思い出したらなんだかおかしくなっちゃった。」
「そうか。」
冷たい風が境内を吹き抜けて、一枚の枯葉が手元の刀にぱさりと当たって落ちた。
刀…
「この刀…。せっかく斎藤さんに見立ててもらったのに、置いていかなくてはなりません。それに…」
私はこの刀に向き合うことができませんでした。
小さくぽつりとそうこぼせば、
「そう思える事こそ、向き合った証拠だ。中途半端に刀を握る者も少なくない。あんたはしっかり向き合えた。」
斎藤さんの低くて落ち着いた優しい声が返って来た。
少し離れて座る斎藤さんをちらりと見れば、その視線に気がついてこちらを見る斎藤さんの視線とぶつかって…
今やお約束?みたいに、私は斎藤さんの髪の毛に手を伸ばすと、いつものごとく髪の毛に到達する前に手首を掴まれてしまった。
「…ごめんなさい。」
唇をとがらせながら悪戯を謝って、伸ばした手を引っ込めようとしても手首は握られたままで…斎藤さんの青い深い瞳と目が合った。
「あ…あの」
なんだか少し焦ってしまって、情けない声で声をかけると、
「す、すまない」
と、ぱっと手を離して、斎藤さんは立ち上がった。
「いえ…。なんだかつい…」
「あんたはいつもそうだな。」
なんだか申し訳なくなって、上目遣いに斎藤さんを見れば、いつもの厳しげな涼しい表情ではなく、笑ってる。
斎藤さんも、こんな風に笑うんだ…。
気が付けば薄紫色の空は、すっかり暗くなって細い三日月が浮かんでいた。