第3章 過去
私は笑うのが嫌いだった。
笑うと、お母様が怒るから。
「その顔にシワが出来たら困るわ。」
「せっかくの綺麗な顔を、貴女はきちんと守りなさい。」
「ちゃんと化粧水を付けなさい!」
「笑わないで!ほうれい線が出来るわよ!」
「泣かないで、眉間にシワが出来たらどうするのよ!」
表情を変えると怒鳴られた。
泣くことも笑うことも、お母様には逆鱗で、私は常にきゅっと口を閉じ、それに耐えた。
過剰なまでに美を意識するお母様は、子役から女優をした美しい人だった。
自らの衰えに苦しみ、私の肌の美しさし執着し、世間一般の母親らしいことはほとんどしないお母様。
学校ではにこにこと笑う同級生達の中、それにじっと耐える私。
付いたあだ名は『氷の女王』と『人形病』。
泣かない、笑わない私はピアノやバレエで賞を獲っても一切笑えず、ただ、お母様に褒めて欲しくて一生懸命稽古に打ち込んだ。
トロフィーや賞状を見せると、ほんの僅かに眉尻が下がり、穏やかな声で「よくやったわね…」と言うお母様が大好きだった。
5年生に進級した時、長太郎と同じクラスになった。
ピアノのコンクールで何度か相見えた顔だったけれど、同じ学校とは知らなかったので少し驚いた。
長太郎は人懐こく私に話しかけた。
「逢崎さん!逢崎さんだよね!俺、鳳 長太郎、君も氷帝学園だったんだね、どうりでコンクールでよく会うと思った!」
まるで既に二、三言葉を交わしたことのある知り合いのように話す長太郎に気圧されて黙っていると、長太郎はにこりと笑い話し続けた。
「この前のコンクール、逢崎さんが金賞獲ったやつ、すごかったね!俺も、あんな風に感情的なピアノ弾きたいって思わされたよ」
感情的なピアノ?
「すごく良かったよ!楽しさも、悲しさも、メロディーだけじゃなくて何か映像が浮かぶようだったよ」
ぽろりと頬が涙を伝うと、長太郎がこの世の終わりの様な顔をして、今度は謝り倒しながらハンカチを差し出した。
私は落ち着いた気持ちで、それ以上大泣きしたりはしなかったけれど、ひどく嬉しかった。
「俺、逢崎さんが嫌だと思うこと言ったんだよね?本当にごめん、君のピアノがすごいと思っただけなんだ…」
自分の方が今にも泣きそうな顔をする長太郎がなんだか可笑しくて、やっと返事をした。