第9章 変わる人。
「すいません…」
「…聞いてたんだ」
「いや…通りがかっただけスから」
不二先輩は少し笑って、いつかのようにまた、人差し指を唇に当てて、
「内緒だよ」
と言った。
「別に…言いふらしたりしないっスよ」
「ふふ。そうだよね。海堂はそんなことしないもんね」
英二と違って、とクスクス笑う不二先輩は、確かに綺麗だった。
菊丸先輩の考えは、正解だったわけだ。
「…その人に、告白とか…しないんスか」
いつもの俺なら、そんなことを聞いたりはしないだろう。
だが、恋でここまで人は変わるものなのか、と不思議に思ったのだ。
俺のらしくない発言に、不二先輩は少し驚いたような顔をした。
「…………したいよ。でもね…できないんだ」
「?」
「たとえばさ。もし、好きになっちゃった人が…親友の彼女だったり。学校の先生だったりしたらさ…さすがに、告白なんてできないよね」
足下の石を力なく蹴りながら、不二先輩は言った。
「すごく、好きなんだ。でも、僕のせいでその人を悩ませたりは、したくないんだ」
「…そっスか」
「…うん」
困ったような笑顔が、痛かった。
まずいことを聞いてしまったな、と思う。
「気にしないで。僕は、大丈夫だから」
笑顔を浮かべたその裏で、泣きそうな顔をしているのだろう。
この人は、優しい人だ。
「それじゃ、またあとでね」
予鈴の音に急かされて、俺と不二先輩は教室へと戻った。
授業が始まっても、不二先輩の淋しそうな顔が、頭に焼きついていた。