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短編集【庭球】

第44章 誰が為に花は咲く〔跡部景吾〕


今だって、せっかくこれ以上ないタイミングで跡部が目の前にいるというのに、「一緒に行こう」の一言がどうしても言えない。
断られることを受け止める強さが、私にはないから。
気が強いだなんて、嘘もいいところだ。


跡部はポスターを一瞥して「花火大会…ね。行くのか」と投げやりに言った。
興味がないのだろうと思った。
私が出向くかどうかにも、そしてもちろん誰と一緒なのかにも。
覚悟していたことにいちいち傷つく私は、気が強いどころか、単なる弱虫だ。


「ううん。完全に忘れてて、明日なんだ、ってびっくりしたとこ。今年は諦めるよ」
「アーン? 一緒に行ってくれる彼氏の一人や二人いねえのか」
「悪い? 指鳴らすだけでいくらでも女取っ替え引っ替えできる跡部と一緒にしないでよね」


自分の不甲斐なさとやり場のない切なさとを目一杯詰め込んだ、渾身の嫌味。
虚勢を張ることしかできない私の単なる八つ当たりだけれど、きっと跡部ならいつもと同じように笑い飛ばしてくれる。

──はず、だったのに。



「俺様が行ってやろうか?」


時間が止まったかと思った。
おそるおそるポスターから顔を上げると、ばちん、と音がしそうなほどに視線がぶつかる。
そこからは揶揄いの色はかけらも感じられなくて、タチの悪い冗談というわけではなさそうだった。

口の中がからからに乾いて、鼓動が一気に倍くらいになって、体温が上がったような気がして。
たっぷりの沈黙のあと、かろうじて出てきた声は「え」というたった一文字。


「ンだよ、行きたいんじゃねえのか」
「あ、いや…うん」
「なら何だよ、言ってみろ」
「…意外、だったから」


人ごみなんてと嫌がると思っていたのに。
地上から見るなんて庶民の考えることだとか、高層ビルやヘリから見るのがオツだとかなんとか言って、いつも通りこてんぱんに私のことをバカにするのだろうと思っていたのに。

「意外だあ?」と少し眉を寄せた跡部は「こんなとこに女一人で行けって放り出すほど、俺様は鬼畜じゃねえ」と不機嫌そうに続けた。
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