第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「おな、か…」
「ああ…蛍のなかが余りに気持ちよくて、我慢ならなかった」
じんわりと温かく内側から染み入る感覚は、もう何度も味わってきたものだ。
その度に抱擁に似たような多幸感を覚える。
形には無い、見えない何かに包まれているような。
杏寿郎とひとつになれたことを、心だけでなく身体もまた確かなものだと告げてくれるのだ。
月経機能を失くしたことを杏寿郎に告げられずにいた時は、その度に子を宿せるかと縋るように願いをかけたりもしていた。
しかし今は願いよりも想いが勝る。
求められることの愛おしさと、同じ熱量で心を分かち合えることの奇跡を実感して。
奇跡なのだ。
巡り合わせは偶然などではない。
周りに常に壁があった二人だからこそ、結び繋げられた想い一つ一つが、奇跡であることを知っていた。
「私も、きもちいい。杏寿郎とひとつになれるこの瞬間が、すごく好き」
余韻を薄めて、微睡みの残る声で告げる。
蛍の火照る顔から溢れる微笑みを前に、杏寿郎は抱き抱えていた脚を下ろすと再び離れた距離を余すことなく埋めた。
愛してる。と告げる代わりに触れるだけの口付けをひとつ。
惜しむことなく味わうように、静かに口付けたまま呼吸を繋ぐ。
「──む」
その時、薄く開いた杏寿郎の双眸が、乱れた蛍の様の中にそれを見つけた。
「櫛が」
布団に埋もれる蛍の髪は、熱情のような交わりの中で乱れていた。
当然と言えば当然の結果だ。
いつもならその乱れ髪も他人には見せない姿だと慈しむものだが、暗い髪の中で煌めく櫛が外れかかっている様は見過ごせなかった。
「外れ落ちそうだ」
「あ…」
そっと壊れ物に触れるかのように、銀色の櫛に触れる。
そのまま蛍の後頭部を掬うように掌で覆い、ゆっくりと抱き上げた。
「ん…大丈夫。これくらいなら落ちたりしないから」
繋がり合ったまま抱き上げられて、杏寿郎の膝に跨る形で蛍は柔く笑い返した。
杏寿郎の手の中にある櫛に触れて、大丈夫だと頸を振る。