第32章 キューピッドは語る Side:H <豊臣秀吉>
ぷいっと顔を背けた家康に、俺の口から思わずため息が漏れた。こいつがなかなか素直な言葉を口にしないのは分かってる。照れ隠しだったり、強がりだったり。後ろにある感情はその時々で違ってるが、家康のひねくれた物言いには慣れているつもりだ。
三成に対しては別としても、こいつはなんだかんだ文句をつけながら頼ってくる者を無下にはしないし、本当は優しい奴だ。さとみもきっと、そういうところに魅かれたんだろう。
だが、さとみだって普通の女の子だ。他人の心が読める訳でも、鋼鉄のような心を持っている訳でもない。度を越した天邪鬼の隣にいて、さとみの心が傷つかないかどうか、正直少し心配だ。
「大切にしろよ。逃げられたって知らねえからな」
我慢出来ずに口にしたその言葉。少し棘のある言い方になってしまった事は自覚してる。
俺の台詞を聞いた家康の顔が、予想していたのとは違う反応を見せた。てっきり「分かってますよ」とかなんとか言って、また不機嫌そうにそっぽを向くんだろうと思ってたんだが。
きょとんとしている三成の横で、家康は息を呑んで目を見開き、俺の顔を穴が開くほどじっと見てる。
「…?」
「きゃあっ」
「うわっ」
不可解な家康の反応。心底驚いたような表情の理由を聞こうと口を開きかけたが、その問いが俺の口から出ることはなかった。
その瞬間茶を盆ごとひっくり返したさとみと、見事なまでにそれを被った三成の心配と世話に追われて、ちっぽけな疑念がどこかへ行ってしまったからだ。
「大丈夫かな…三成君」
「火傷はしてなかったし、放っておいてもいいんじゃないの」
「さとみ、お前は気にしなくていい。一人で茶を淹れさせて悪かったな」
「そんなこと…」
俺は三成を風呂に行かせて、しゅんとしているさとみの頭にぽんと手を置いた。反射的に出た手に家康を伺えば、どこ吹く風と言った様子で欠伸を噛み殺してる。
寛容だな、家康。それとも恋仲故の余裕の表れなのか。
面白くない気持ちを抱えたまま、俺は貼り付けた笑顔で帰る二人を見送った。
御殿から城へ続く道を、何か話しながら歩く二人の背中が遠くなっていく。俺はそれを、ただじっと眺め続けていた。