第29章 夜が明けたら <明智光秀>
しばらく走り続けて、桜はようやくどこに向かっているのか見当がついた。
見覚えのある市を通り抜け、山道を登っていく。川を見下ろしながら細い山道を登りきれば、橋を横目に宿の建物が見えてくる。
「お待ちしておりました」
「ああ、ご苦労。…桜、来い」
以前と同じように、宿の者が二人を出迎えてくれる。光秀は先に馬を降りて、桜へと手を伸ばし抱き上げた。光秀は桜を地面へ下ろさずに、そのまま宿の方へと歩き出す。
「み、光秀さん、自分で歩けますっ」
「遠慮するな」
「してませんっ」
ばたばたと肩の上で暴れる桜に苦笑して、光秀はその体を降ろした。ほっとしつつ、宿の玄関に向かいながら思い出すのは。
あの人は…?
「あ、あの…」
「大丈夫だ」
全て分かっている、という顔で光秀が笑う。
「あの後、この宿は別の者に管理を任せている。お前が怖がることは、もう何もない」
大きな手が、桜の手をぎゅっと握る。無意識に肩に入っていた力が、ふっと抜けた。
宿の中は、前来た時と変わっていない。玄関を上がって、右に折れて廊下を進めば客室が並ぶ。
「こちらです」
案内された一室に入れば、光秀も当然のように一緒だ。もしや同室なのか、と火照る頬を自覚しながら光秀を見れば、いつもの意地悪顔が笑う。
「不満か?」
「い、いえ…」
赤くなった顔をふいと背けて、はたと気付く。
「光秀さん、私何も…」
「ほら」
持って来ていない、と言おうとした桜に、光秀は荷物を渡す。中を見れば、必要なものは全て入っているようだ。
「お前の女中に頼んでおいたぞ」
「ありがとうございます…」
相変わらず、光秀は桜の数歩先を行く。