第28章 それゆけ、謙信様!*遁走編*
今宵は一段と冷える。
騒がしかった昨日とは違い、謙信は一人屋敷で酒を浴びるように飲み続けていた。数え切れないほど杯を口に運んだというのに、いつまでたっても酔いはやってこない。
ぱちぱちと燃える囲炉裏の火を黙って見つめていた謙信の耳が、かすかな物音をとらえた。だんだんと近づいてくる足音に、無言のままそばの刀を引き寄せる。
「謙信様、失礼します」
「…佐助か」
刀から手を離し顔を上げれば、声の主とともにある姿に目を見開いた。もう二度と、会うつもりなどなかったのに。桜を連れて澄ました顔をしている佐助を睨むけれど、まるで効いていない。
「じゃあ、桜さん。俺は幸村の所にいるから…頑張って」
「ありがとう、佐助君」
佐助と入れ違うようにして中に入った桜が、そろりと謙信のそばへ寄った。謙信が視線で威嚇すれば、斜向かい辺りで動きを止める。
「何をしに来た?…来るなと、言ったはずだ」
「お話が、したくて」
「俺はもう、お前と関わり合うつもりはない」
「私のお話を聞いてくださるまで、ここを動きません」
「斬られてもいいのか」
「それでも、動きません」
続く押し問答に折れたのは、謙信だった。はあ、とため息をついて桜を見れば、その瞳には決然とした意志が燃えている。
「…言ってみろ」
ぱっと顔を嬉しそうに輝かせると、桜はけほけほと咳き込んだ。
まだ、治っていないのか。
そう思うけれど、謙信は顔には出さない。考えるように目を伏せる桜の言葉だけを、じっと待つ。
「謙信様に、私の想いを告げに来ました」
唐突で直球な物言いに、さすがの謙信も目を瞬かせた。謙信の視線にたじろぎ、桜の顔がだんだんと赤くなっていくけれど、決して目は逸らさない。
「謙信様が女性をお好きでないことも、重々承知しています。私の想いがご迷惑なことも…。それでも黙っていられなくて、佐助君に無理を言って連れて来てもらいました」