第27章 それゆけ、謙信様!*愛惜編*
「ちょっと早すぎたかも…」
梅干しの包みを手に、桜は自分の行動が恥ずかしくなり足を止めた。謙信も、さすがに朝から丘へは来るまい。
一度城へ戻ってから出直してもいいけれど、どこか様子を伺うように自分を見る武将達の視線に気づかないほど、桜は愚かではない。このまま帰れば、朝早くからどこに行ってたのかと、面倒な問答に苦労するのが目に見えている。
いいや、しばらく待っていよう。
丘をゆっくりと登っていけば、案の定人の気配はない。昨日と同じ場所に座り込んで、桜はふうと肩を落とした。
どれくらいぼうっとしていただろう。桜は風が湿っていることに気付いてはっとした。
秋の空は、変わりやすい。
高く澄んでいたはずの空は、冷たい風と共に流れてきた暗く重い雲によって、あっという間に覆いつくされた。
城へ戻るかどうか迷う暇もなく、細い静かな雨が空に線を描き出す。
「どうしよう…」
色が変わり始めた地面をじっと見つめてから、無意味に空を見上げた。大きな木の枝から垣間見える空はくすんでいる。
「……」
約束を取り付けたわけでもない。勝手に待っていても、会えるかどうか。
膝を抱えるようにして座っていた桜は、膝の上に置いていた梅干しの包みを懐に大事にしまい込むと、おもむろに立ち上がった。
城へ帰ろう。
小走りに進み出した。せっかく買った梅干しを濡らさぬよう、胸元を腕で庇いながら。
丘を下りきり、町屋敷が並ぶ通りに入った。石畳が敷かれた脇道に入ると、濡れた石に足を取られて滑る。
「あっ」
胸元を庇って走っていたせいで、受け身の体勢が取れないままに体が均衡を失った。硬い石に思い切り倒れ込む衝撃を覚悟した桜だったが、痛みはいつまでもやってこない。その代わりに訪れた、抱き留められた感覚に顔を上げれば。
「…っ!」
「お前は何をやっている」
会いたかった謙信の力強い腕が、桜の体を支えていた。色素の薄い瞳が間近に迫って、心臓が一際大きな音で鳴く。
「すみません…」
やっとそれだけを答えて、桜は慌てて体を起こした。