第24章 それゆけ、謙信様!*遭遇編*
今日はいい天気だ。
天高く馬肥ゆる秋、なんて言うけれど。空は高く綺麗に澄み渡り、桜は過ごしやすい風に誘われて、ふらふらと市へ出て来た。
すれ違う人々の顔も晴れ晴れと活気に溢れていて、つい笑顔がこぼれる。顔見知りになった小間物屋や、香ばしい匂いを漂わせる団子の店を覗いて。
それまでは本当に、いい日だったのに。
…やっぱり、あの道を曲がれば良かった。
人生、というものは、道の選択を一つ違えただけで大きく変わってしまうものらしい。
真っすぐ行って幸村にでも会いに行こうか。それとも、曲がって馴染みの反物屋に行こうか。少し迷って直進した桜の髪を風が煽った瞬間に。
「…おまえは」
ばちん、という音がふさわしい程、気持ちよく目が合った。向こうの口がそう動いて、自分の事を覚えているのを悟ったと同時に、衝動的に回れ右。
今考えれば、別に逃げ出すことなど無かったのだ。桜が安土城にいることは当然知っているはずで。むしろ、そのまま往来の多い道で当たり障りなく接していた方が、穏便に済んだであろうに。
「待て」
「あっ!」
多くの人でごった返す通りを思うように抜けられず、脇道に入ろうとしたところで腕を掴まれた。恐る恐る振り向けば、冴え冴えとした瞳とかち合う。
「何故逃げる」
「お、驚いてつい…」
あなたが怖いからです。とは、さすがに言えずに言葉を濁した。
「お前は、休戦協議の場にいた女だな。逃げるということは、俺のことを覚えていたか」
「は、はい…覚えています。…謙信様」
名を呼ばれ、謙信は目を細める。その瞳を見つめながら、桜は思った。忘れる訳がない。というか、出来ることなら忘れたい。
あれは、二月ほど前だった。信長に半ば無理やり連れていかれた戦。桜が一人信長のそばで震えている中、信長軍は相手である謙信軍との戦いを繰り広げた。力は拮抗し、結局双方痛み分けになったことで、休戦という形を取ることになる。
その協議の場の隅に、当然桜もいた。その時部下を伴い現れたのが、今目の前にいる上杉謙信。去り際に桜を見たその冷たい目に、体が竦んだ。その恐ろしさを、未だに忘れることができない。