第9章 退紅(あらそめ)scene3
耳がキンとして、何も聞こえない。
ステージで軽く場当たりなんかして、楽屋に一旦戻ろうとした時、廊下の向こうから雅紀に支えられて歩いてくる智くんが見えた。
俺は笑顔を作った。
さっき、ニノと約束した。
俺は、嵐の櫻井翔を演じるって。
「おはよう。ステージ、できてるよ」
「翔ちゃん…」
雅紀が俺の顔見て呆然としてる。
「なに?」
「なにって…」
智くんは俺の顔をみたまま動かない。
「どうしたの?智くんは甘えん坊だな…」
ぽんぽんと頭を撫でて、俺は楽屋に向かった。
「ちょっと待ってよ!翔ちゃん!」
雅紀の声が聞こえたけど、立ち止まることはできなかった。
「なんだよ。俺、トイレ」
「あ…ごめん…」
小さくなってる声を背に聞きながら、俺は歩いた。
ちゃんと…できてたかな…
リハーサルは進んで、俺達はそれぞれの取材に向かったりなんだりと、少しも休まる暇はない。
震災復興に少しでも力になればと企画されたものだ。
そこは全力で臨まないと。
この忙しさが幸いして、俺は深く物事を考えずに済んだ。
夜中までは。