第76章 ヒソップ
一度触れてしまった唇の感触が、俺をどんどん欲張りにする。
もっと、触れたい。
もっと、欲しい。
「みんなが、大野さんの力を認めて、決まったことだよ。それを無下にしたいの?」
でも…俺も大野さんも男で…
「それに、さ…マーケティング部というくくりの中では、一緒に働けるんだよ?気持ちはありがたいけどさ…」
これ以上、進んじゃいけない。
「はは…あれだよ…大野さん、俺よりも出世できそうだからさ。俺のこと、見捨てないでよ?」
触れちゃ…いけない…
「見捨てる…?」
顔を上げたら、メガネの奥の目が怒ってた。
「え…?」
いきなり、ガシッと腕を掴まれた。
「うわっ…コーヒー溢れっ…」
びしゃっと、俺と大野さんの革靴にコーヒーが少し溢れた。
「そんなことっ…あるわけないじゃないですかっ…」
「お、お、大野さん…」
なんでそんな急に怒るんだよぉ…
手も足もコーヒーまみれじゃないか…
「あ…」
しおしおと大野さんの怒りがしぼんで行った。
「すいませんでした…」
そう言ってペーパータオルを取ってくれて、手を拭くことができた。
その間に大野さんは屈んで、俺と自分の靴を拭いてくれた。
「あ、ありがと…」
「いえ…すいませんでした…」