第56章 傾城屋わたつみ楼
ここは海辺の街。
賑やかな中心部を出て海岸線に出ると、長く続く高い塀に囲まれた大きな家がある。
中の建物は、新しいのだが昔の湯屋の雰囲気に似ている和風家屋だ。
「いらっしゃいませ、お初にお目にかかります」
引き戸を両側から開けられ、中に足を踏み入れると右手から着流しの男が現れた。
着流しの上には半纏を羽織っている。
その半纏の掛襟には名前が入っていた。
『傾城屋わたつみ楼』
そう、ここは遊郭。
もちろん、違法営業だから表向きには看板は出ていない。
現代においてもまだ遊郭があるのかと驚いたが、更に驚いたのはその内容だ。
「松岡様よりご紹介頂きました…櫻井様ですね?」
その男はゆっくりと顔をあげると、人懐こそうな笑顔を向けた。
「ああ…今晩、よろしく頼むよ」
「わたくし、引き回しの雅紀と申します。よろしくお見知りおきを」
広い玄関の上がりに座ると、手をついて頭を下げた。
引き回しとは、ここの特有の言葉だそうで、遊郭の中を引き回して案内することからそう言うとのことだった。
「おはーつー」
そう雅紀が叫ぶと、どこそこから一斉に声が聞こえた。
「いらっしゃりませぇっ…」
わたつみ楼の中は、広々としていた。
松岡さんから聞いてはいたが、贅沢な造りに驚いた。
玄関を入ると、畳敷きの廊下が広がっている。
奥には木の造りの大階段が見えている。
その両サイドも廊下になっていて、畳敷きが伸びている。
玄関の横にはフロントのようなものがあって、そこには大振りな器に生花が飾られている。
従業員は皆、和服を着て前掛けをしている。
教育が行き届いているらしく、まっすぐに俺のことを見るものは居ない。
「櫻井様、こちらに…」
引き回しの雅紀が先に立って歩き出した。
後ろをついていくと、従業員がすれ違いざま頭を下げていく。
「いらっしゃりませ。櫻井様」
口々に俺の名前を言っていくから驚いた。
ここは本来、顔なじみの客しか取らないから、客の顔は全員覚えているのだろう。
今日は特別に、馴染みの紹介ということでねじ込ませてもらったんだ。