第5章 7月
―黒尾鈴と早起きの理由―
ミーンミーンミーンミーン
どこからか蝉の声がする。
夏の初めにひとりぼっちで鳴いている、蝉の声。
『待ってお母さん、お母さん』
アパートの玄関で大きな荷物を抱える母に縋り付く、まだ小学生の私。
『鈴、この人はもう鈴のお母さんじゃないんだよ』
そんな私を抱き上げる、まだ優しかった父。
『行かないで、ねえお母さん、お母さん!』
それでも泣きじゃくって手を伸ばす馬鹿な私。
私が覚えてる母親の最後の顔は、すごく、冷たい顔だった。
『最後だから言っとくけど。この子、アンタの子じゃないから』
『……ちょっと待て…それ、どういう事だよ…』
『…可哀想な子』
残酷な音を立てて閉まる玄関の扉。
『…お父、さん…?』
やめて。そんな目で見ないで、お父さん。
『あ、あのね、お父さん…バレー部入ったらね、シューズは必要だから、買ってもらえって顧問の先生が…』
『……何だよ!お前もアイツも!』
『痛っ、お、お父さんっ…』
『人がッ、稼いだッ、金をッ、当たり前みたいにッ、使いやがって!俺を、俺を何だと思ってるんだ!』
『あっ、あ…う……ごめんなさい…ごめんなさい』
(助けて…)
『ねえ聞いた?あのボサ子、部活のシューズ買えなくて先輩からパクったらしいよ』
『え、ボサ子ってアレ?坂井?…うっわ、マジキモくね?ってか窃盗とか犯罪じゃん』
『同じクラスに犯罪者とか、最悪じゃない?』
『ホント。あの子早く死んでくれないかなー』
(助けて…助けて…)
『聞いたぜ坂井、オマエ給食費払ってないんだってな』
『よくそれで普通に食えるよな、恥ずかしくねえの?』
『オマエみたいなの、コジキっていうんだぜ』
『オイ待てよ、逃げんなって』
(助けて…助けて…助けて…助けて…)