第32章 wolf(八代)
「お願い。泣かないで。」
目の前にいる拓ちゃんの瞳は潤んでて。
今にも泣き出しそう。
「たくちゃんっ」
声を絞り出して名前を呼ぶ。
「いつもの拓ちゃん?」
鼻をすすってコクっと大きく頷く。
「怖かった…」
「ごめん。」
俯く姿は小さくて。何だか急に近くに感じる。
「うぅん。違うの。」
「ステージにいる拓ちゃんは格好良くて。」
「遠くに行っちゃったって…」
「もちろん、さっきの拓ちゃんも知らない人みたいで。」
「ちょこっとは怖かったけど。」
指先で僅かに隙間を作って、目の前に差し出す。
どんな顔してるのか。
滲む視界で見つめる先の表情はよく見えないけれど。
それでも私は貴方を近くに感じられれば嬉しい。
「ごめん。本当にごめん。」
聞こえる声は震えてる。
「宏太朗くんに取られるんじゃないかって。」
「不安で不安で。」
小さくて小さくて。今にも消えそうな声。
いつもの元気で笑顔が眩しい拓ちゃんはいない。
「何言ってるの?大丈夫だよ。」
宥めるように髪を撫でる。
「それに、こうちゃんとは今日会ったばかりだよ?」
笑顔を向ければ、子供のように頬を膨らませて抗議の視線を私に向ける。
「こうちゃんって呼んじゃヤダ。」
その頬に触れると恥ずかしそうに顔を背ける。
でも。
はだけたシャツから覗く肌は艶やかで。
鍛えた腹筋は照明に照らされて立体感が際立つ。
誘われるように指を伸ばし触れたお腹は思った以上に存在感を感じる。
普段ならこんなこと出来ないけど。
これは夢が現か。
指先を滑らせる。
「くすぐったいから触っちゃダメだよ。」
その声に手を引くとすぐに手首を捕まれた。
「やっぱり…我慢するのは止めた。」
「また宏太朗くんに取られたら困るし。」
「割り込ませる隙なんて作らないけどね?」
「もう我慢なんてしないよ。もっと触って。」
掌で感じる体温。
落ちるトーンに瞳の奥に見える光。
「紗友?そんな事したらオオカミになっちゃう。」
「大人しくしないと食べちゃうよ。」
「………て。」
「ん?」