第32章 心
「江戸には何がある?」
その問いに、高杉は吸い込んだ煙を空に吐き出してから言った。
「…全てだ。俺の全てがある」
老人は分かったというように頷きながら高杉に笑いかけて続けた。
「女か!」
「…そうだ」
その問いに高杉も頷きながら口元を緩めると、老人は楽しそうにまた笑った。
「一人江戸に置いてきちまったからな。やっと会える」
「何か理由があるのか?」
「…今まで色々あったんだ。アイツには長い間待たせちまったし何度も泣かせちまった。だが一人江戸に残してでもやりてェことがあったんだ」
「……」
老人は持っていたお茶を置いて黙って聞いていた。
「だから江戸に戻ったらもう二度と泣かせねェと決めた。…アイツには笑顔が似合う」
「…男前のお前さんにそこまで言わせる女だ。よっぽどいい女なんだろうなぁ」
「あァ。俺にはもったいねェほどにな」
「そうかそうか。若いってのはいいねぇ!俺も先立った女房に会いたくなってきたよ」
優しく笑う老人に、高杉も口元に笑みを浮かべた。
煙管を口に含むと、なんだか先程よりも煙がおいしく感じられた。
「本当に大切なんだな。その子のことを話している時は大層頬が緩んでおる!」
「…フッ、そうかい」
その後も他愛のない会話をして、高杉は差し出された餡子の団子を口にした。
普段はあまり甘いものは食べないが、凛はこの甘い団子が好きだったことをふと思い出す。
「そろそろ行くぜ。早くアイツに会いたくなっちまったからな」
「あぁ。幸せにな」
高杉は煙管を吹いて灰を飛ばすと、立ち上がって刀と編笠を手にした。
「達者でな」
「あぁ。ありがとう」
感謝を述べると老人は笑顔で手を振ってくれた。
あと少し。あと少しで凛に会える。
会ったらなんと言葉をかけようか。
抱き締めて、ガラにもなく愛してると伝えよう。
笑う凛の顔を思い出して、高杉も小さく笑った。
~ 心 ~