第32章 心
険しい峠の麓、そこにぽつんと一軒の茶屋が佇んでいた。
「……」
高杉晋助は、軒先の床机に腰掛けると出されたお茶を少しだけ口にした。
被っていた編笠と刀を横に置いて懐から煙管を取り出す。
火をつけて吸口に口を付けると、ゆっくり吸い込んだ煙を全て吐き出した。
一服しながら空を見上げれば、少しばかりの雲とどこまでも青く晴れ渡る空があって、まだ寒い早春の侯を忘れさせるようだ。
「いやぁ、今日はいい天気だねぇ」
後ろから声が聞こえて、チラッと後ろを見るとそこには一人の老人が座っていた。
「のどかでいいところだろう?それに今日は最高の天気だ」
どうやら自分に話しかけているようで、高杉はお茶を片手に団子を食べる老人に言った。
「あァ。いいところだ」
「兄ちゃん、よその人か?こんなところに若い兄ちゃんがいるなんて珍しい。しかも刀なんかぶら下げて…どこから来たんだい?」
「…江戸だ」
「そんな遠くから来たのかぁ」
老人は地元の人だろうか。
またお茶を一口啜ると言った。
「自分探しの旅ってやつか?」
「まぁ…そんなところだ」
「で?これからどこに行くんだ?」
「これからまた江戸に戻るところだ」
「そうか。遠いな」
「あァ。1000kmだ」
「まさか歩いて行くわけではあるまいな?」
「まさか。港まで出れば船がある」
「そうかそうか」
老人は笑いながら言うと、後ろを振り返って続けた。
「江戸はどうだ?いいところか?」
「騒がしくて連中は馬鹿ばかりだが、良い町だ」
「そうか、死ぬまでには行ってみたいものだ」
顔を見ると、とても気立ての良さそうな老人だ。
高杉も一口、お茶を口に含んだ。