第28章 桜の咲く頃 四幕(十二歳)
「…お前らが、土地神の所へ向かった直後も同じように…急に倒れた。その時はすぐに回復したんだけどな。また同じかも知んねぇが…次、発作が起こったらお前に知らせろってな…「知らせろ」なんて言葉は初めてで戸惑った」
一息区切るように息を吐き
湖としっかり目を合わせた幸村は、その視線を合わせるように身を屈め湖の二の腕に軽く握る
「湖、頼めるか」
確証はない
だが、湖が春日山城へ現われてから明らかに信玄の体調は変わった
起こりそうな発作が起こらない
なりかけてもすぐに収まり、体調を戻すのだ
理由はわからないが、湖が側に居ることで体調がいいのは明らかだったのだ
(こいつが、何をしてるのか…何が出来るのかはわからねぇ。こんな子どもに頼って良いはずはない…けど、どうにかなるのであれば…)
幸と視線を合わせたまま、しばらく黙った湖
やがて小さく口を開くと
「ん…幸、あのね…誰にも言わないでくれる?」
「あぁ、約束する」
幸村は襖を開き湖をその中に入れると、静かに襖を閉めた
そして、自分はその前にどかりと座るのだ
目の前には、信玄が大工仕事をよく行う庭がある
(何でもいい。まだ駄目だ…あの人を連れて行くな…)
部屋に入れば、湖にしか見えないであろう黒い靄がそこにあった
一瞬その黒い靄の量と色に、視界を奪われ足をすくめてしまう
これほど大きな靄は見たことがない
まるで、あの落神が発していた靄のように
信玄の上半身を覆っているのだ
(酷い……)
足を進めれば、靄は湖を避けるよう散る
そうして苦しむ信玄に近づき横に座ると、その額の汗を側にあった手ふきでぬぐった
信玄の瞳は開くことなく、ただ痛みに耐えるよう固く閉じられいる
「ととさま」
呼んでも返事は返ってこない
(さっき、かかさまに一回。お守りは、あと二回…二回使う?でも、まだ桜さまのところに行くまで日がある……これ、一回分でどれだけ黒い靄が収まるの)
見ているだけでは変わらない
湖は、胸元の着物を握る信玄の手に両手を添え、その手ごと着物をずらした
現われた信玄の胸元は、底なし沼のようにどす黒い靄なのだ
「っ…ひどい」
思わず出てしまった声を抑えるように、湖は口を塞いだ